■検証208・大石寺の「戒壇大本尊」が大石寺9世日有の偽作である16の証拠63

 

□仏教の権威の象徴であり現世での富や豊かさの象徴・権力の象徴であった金

 

大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊は1445(文安2)年ころに、大石寺9世日有の命令により、秘かに造立され、「戒壇の大本尊」なる板本尊の表面に漆加工と金箔加工が施された。ではなぜ大石寺9世日有は、「戒壇の大本尊」なる板本尊の文字を、わざわざ金箔加工を施して金文字にしたのか。それは「金」というものが、現世での富や豊かさの象徴であり、仏教の世界においては、古くから至高の存在として、仏の三十二相の「金色相」の如く、光り輝く浄土の世界として表現されてきた歴史がある。そして同時に「金」は権威・権力の象徴でもあったということである。

日本ではじめて自然金が確認されたのは奈良時代中期のこと。それ以前の弥生・古墳・飛鳥時代の金製品・金メッキ・金箔製品の金は、海外から輸入されたものである。弥生・古墳時代の金の装飾品は、まさに権力者の富の象徴だった。日本では滋賀県野洲町の甲山古墳(6世紀前半)から日本最古の金糸が発見されている。奈良県明日香村のキトラ古墳(7世紀末~8世紀はじめ)では、天文図の星が金箔で表現されていることが確認されている。仏教伝来後の飛鳥時代になって、仏の三十二相の中の「金色相」の考えに基づき、仏像・仏具で金が使われはじめた。

ちなみに日本では、戦国時代まで、そのほとんどが東北産の金であった。戦国時代になると戦費調達や家来への報奨のために金山が開発された。甲州・湯之奥金山もまさにそれらの金山の中のひとつであったのであり、戦国時代から江戸時代初期まで、日本の金の生産はひとつのピークを迎える。仏教は「日本書紀」によれば、552年に百済国から金銅の仏像や経典が日本に伝わり、飛鳥時代から造仏が盛んになった。当時の仏像・仏具は銅で鋳造され、金メッキが施された。仏像や仏殿での金の使用は、仏の三十二相の「金色相」があり、仏像は金色とされ、西方浄土の世界も金色と記されているためである。現在も日本を含め仏像・仏具には金色が尊ばれ、金箔が張られている。743(天平15)年、聖武天皇は奈良・東大寺の大仏造営を決定し、仏像に金箔を飾ろうとしたところ、749年に陸奥国(宮城県)で「金」が発見され、900両の金が天皇に献上された。

天皇は年号を天平感宝と改め、歌人・大伴家持は「すめろぎの 御代栄えむと東なる みちのくの山に 黄金花咲く」と詠んだ。平安時代末の12世紀、平泉・中尊寺金色堂に代表されるように、奥州には藤原氏により約100年にわたって、華やかな黄金文化が栄えた。1124(天治元)年、奥州の実力者・藤原清衡が平泉に中尊寺金色堂を完成させたのである。光堂とも呼ばれる中尊寺金色堂の内外には金箔が張りめぐらされた。奥州藤原氏初代・清衡が建立した中尊寺には、寺や塔が40余り、奥州藤原氏二代・基衡が建立した毛越寺にも40に及ぶ寺や塔があった。これらの寺や塔の内部も金箔が張りめぐらされ金色に輝いていたと言われている。中尊寺に蔵されている、仏教の全てを集大成した6000巻を超える経典である一切経には、初代・藤原清衡による金銀字交書一切経や三代・藤原秀衡の金字一切経がある。金泥で写経した経典には、奈良の大仏が建立された天平時代の写経、平清盛の平家納経や奥州藤原三代の中尊寺経などがある。

 

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