仏教宗学研究会(アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・アンチ正信会)・アンチ日蓮正宗系・オフィシャルブログ

一般社団法人仏教宗学研究会・YouTube公式チャンネル https://youtube.com/channel/UCjCdnnWJfBHtG-W-HqOJ2yw 正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・アンチ正信会」略称名「アンチ日蓮正宗系」。日本のみならず世界中からカルト宗教被害を根絶・絶滅させることが究極の目的。創価学会や顕正会は勿論の事、その本家本元の日蓮正宗自体も「目くそ鼻くそを笑う」的なものだ。創価学会、SGIや冨士大石寺顕正会、正信会、その他の分派団体……これらの親元・生みの親・育ての親・本家本元は、日蓮正宗です。 伝統仏教の仮面をかぶり、憲法違反、国際人権規約(条約)違反の人権侵害を行い、信教の自由から逸脱した専横活動を行い、一般国民の信教の自由を踏みにじる弾圧を行うカルト宗教を規制する新立法・新条約制定を目指します。日蓮正宗、創価学会、顕正会をカルト宗教に指定して司法監視せよ。反日蓮正宗系(日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会)活動はカルト宗教の専横・独裁・専政・弾圧に抵抗する現代の自由民権運動である。 (「日蓮七百遠忌大法会」終了後、記念撮影する大石寺67世阿部日顕ら日蓮正宗首脳僧侶と池田大作ら創価学会首脳・昭和56(1981)年10月17日付け聖教新聞)

カテゴリ:日蓮正宗とは伝統仏教の仮面をかぶるカルト・宗教ペテン集団である > 大石寺67世法主・阿部日顕の検証・日顕の妄説を斬る

1「僧と俗は令法久住と広宣流布について一体の使命をもつものであります。ただし、一体といっても、その中に自ずから区別があります。すなわち僧侶はとくに令法久住という意義において、在家は折伏、広宣流布という面において、それぞれ重大な使命を担っているのであります ...

□1980.11.26 日顕法主が創価学会幹部に「登山命令」と称する「創価学会創立50周年総登山会」を行う・宗門主宰で大講堂に創価学会幹部を集めて日顕法主が指南 □「週刊文春」1980年11月20日号に山崎正友氏が「二つの疑惑=日達上人の遷化と阿部日顕の相伝」「御相伝そのも ...

 1980年11月16日に大石寺67世日顕法主(日蓮正宗管長)が創価学会創立五十周年に寄せて和歌を創価学会に贈っている。「不思議なる 会や生まれて五十年 妙法さかう 不二のふもとに」「宗祖もと 忍びたまいつ我らまた 忍びてゆかむ 末世弘法を」当時は、創価学会幹部が ...

日顕法主と池田大作氏のヤラセでゴーストライターが書いた池田所感「恩師の二十三回忌に思う」を金科玉条に日顕法主は1980年4月6日の代替法要の説法につづいて7月4日の大石寺での全国教師指導会で創価学会・池田大作氏を全面擁護した。 「『創価学会は大謗法の団体だ』と ...

1979年11月の「北条報告書」「山崎八尋報告書」発覚で正信覚醒運動は「創価教独立路線だ」と再び創価学会批判が沸騰・日蓮正宗内の僧俗世論が創価学会強硬論が強まっていった。 1979.12.14の日蓮正宗司法機関・監正会の監正員選挙で定数7のうち正信覚醒運動住職5人が当選・ ...

1979年11月・原島嵩氏が「北条報告書」「山崎八尋報告書」「竹岡報告書」創価学会内部文書を暴露・日蓮正宗宗内が北条報告書で騒然とする。 11月29日池田大作名誉会長・北条会長が大石寺に登山・日顕法主に陳謝(と日顕法主が称する)・その日に日顕法主が富士学林研究科閉講 ...

創価学会を破門にした阿部日顕氏は「反創価学会」だといわれているが、実際は宗創和合時代から阿部日顕氏は親創価学会・親池田大作の代表格だった。創価学会破門の翌年、阿部日顕氏は法華講連合会壮年部大会で「池田大作は戸田会長が造った流れに乗っただけ。池田大作が会長 ...

□教師昇級から1990年12月まで一貫して親池田・親創価学会だった大石寺67世阿部日顕   1990年12月末の池田大作総講頭電撃解任事件以前の宗創和合時代、大石寺67世阿部日顕は一貫して親池田大作、親創価学会の僧侶だった。阿部日顕は、教師になって以来、本行寺住職、平安 ...

□宗創和合時代は日蓮正宗の中でも指折りの親池田大作、親創価学会の僧侶だった阿部日顕   1990年12月28日の池田大作総講頭電撃罷免事件が発端になった日蓮正宗と創価学会の第2次宗創紛・宗創全面戦争で、日蓮正宗が創価学会を破門にし、大石寺67世阿部日顕法主は反創価学 ...

□北条浩四代会長に大居士号を授与し創価学会本部葬の大導師を勤めた大石寺67世日顕   1981(昭和56)年7月24日、午後二時から創価学会本部葬が東京巣鴨・東京戸田記念講堂で行われ、大石寺67世阿部日顕法主(日蓮正宗管長)が大導師をし、藤本日潤総監をはじめ約二百人余りの ...

□北条浩・四代会長に「宣正院浩徳日基大居士」の戒名を下賜した大石寺67世阿部日顕法主   1981(昭和56)年7月23日、創価学会本部が主宰する創価学会四代会長・北条浩の通夜の儀が、東京・巣鴨の東京戸田記念講堂で営まれているが、この北条浩・通夜の儀の大導師を勤めた ...

□藤本日潤総監・宗門首脳のみならず日顕法主夫人・藤本日潤夫人も列席した北条浩告別式   1981(昭和56)年7月18日、創価学会四代会長・北条浩が死去。18日夜に北条浩自宅にて通夜、翌19日に同じく北条浩自宅にて告別式が行われた。この通夜も告別式も、喪主は北条浩夫人 ...

□なぜ日顕は池田大作に「大法護持広布並世界平和貢献之功」賞賛の賞与本尊を授与したのか   日蓮正宗内部の反創価学会運動である正信覚醒運動が「正信会」と衣替えし、正信会が大石寺66世細井日達から大石寺67世阿部日顕への血脈相承を否定。正信会僧侶のほとんどが擯 ...

□総講頭辞任の5年後に大石寺66世細井日達法主から再び総講頭に任命された池田大作   大石寺法主が日蓮正宗全信徒のトップの職である日蓮正宗法華講総講頭に池田大作を任命した、二度目とは、1984(昭和59)年1月2日、池田大作ら創価学会首脳が大石寺大坊対面所で大石寺67 ...

□大石寺書院の大酒宴で創価学会首脳と仲良く酒盛りを楽しんでいた法華講連合会委員長   下記の写真は、昭和57(1982)年12月15日を中心に約3日間にわたって大石寺で行われた、「日目六百五十遠忌慶讃大法要」のもようを報道する昭和57(1982)年12月18日付け聖教新聞である ...

□大法会終了後、大石寺書院で大宴会・大酒宴を開いていた日蓮正宗・創価学会首脳たち   日蓮正宗と創価学会が和合路線を歩んでいた「宗創和合時代」の昭和57年(1982)3月に大石寺で行われた「日興六百五十遠忌慶讃大法要」で、日興の墓参が行われたことを報道する昭和57 ...

□記念撮影後、全員で大石寺書院で大宴会・大酒宴を開いていた日蓮正宗・創価学会首脳たち   下記の写真は、昭和56(1981)年10月13日を中心に約一週間にわたって大石寺で行われた、「日蓮七百遠忌大法会」終了後、記念撮影する大石寺67世阿部日顕法主ら日蓮正宗首脳僧侶 ...

□「人間として恥ずべく呆れ果てた人権無視の背徳行為」を行っているのは大石寺67世日顕だ   1990年(平成2年)12月の池田大作・総講頭罷免以降の「宗創戦争」以降、池田大作や創価学会をボロクソに批判している大石寺67世阿部日顕だが、しかし1980年代前半、世間・マスコ ...

□大石寺の「観桜会」とは花見のことで、当然のことながら大規模な酒宴のことである   下記の写真は、大石寺「池田山」で大石寺67世阿部日顕をはじめとする日蓮正宗首脳と池田大作をはじめとする創価学会首脳が仲良く「観桜会」を行っていたことを報じる1982(昭和57)年4 ...

□池田大作に賞与本尊を授与し居士衣を授与し法華講総講頭に任命した大石寺67世阿部日顕   下記の写真は1980(昭和55)年4月6日、例年、大石寺で行われる霊宝虫払い大法会と並行して行われた大石寺67世阿部日顕法主代替奉告法要を報道する1980(昭和55)年4月7日付け聖教新 ...

□1990年当時、法華講総講頭だった池田大作、大講頭だった秋谷栄之助ら創価学会幹部   下記の写真は、1990(平成2)年4月1日、大石寺で行われた大石寺開創七百年記念・大石寺整備事業完成奉告法要・総二坊落成法要の後、大石寺多宝蔵前の日本庭園で仲良く談笑する大石寺67 ...

□五重塔脇の戸田城聖墓所で仲良く墓参をしていた大石寺67世阿部日顕と創価学会幹部   下記の写真は、1990(平成2)年4月2日、大石寺で行われた戸田城聖第三十三回忌法要の折、大客殿での法要の後、大石寺五重塔脇にある戸田城聖墓所での墓参を行う大石寺67世阿部日顕と創 ...

□池田大作と並んで創価学会文化祭に拍手喝采する大石寺67世阿部日顕と藤本日潤総監   下記の写真は1990(平成2)年9月2日に大石寺大客殿前広場で行われた「大石寺開創七百年慶祝文化祭」を仲良く鑑賞する大石寺67世阿部日顕と池田大作。阿部日顕は法主登座以降、創価学会 ...

□酒盛り好き、宴会好きという点でも「目くそ鼻くそ」「同じ穴の狢」だった阿部日顕と池田大作   下記の写真は1990(平成2)年10月に大石寺で行われた「大石寺開創七百年慶讃大法要」の終了後、大書院で行われた「祝賀会」と称する饗応(きょうおう)で、同じテーブル席に座 ...

□大石寺開創七百年を記念して特別仕立ての居士衣を池田大作に授与した阿部日顕   下記の写真は1990(平成2)年10月に大石寺で行われた「大石寺開創七百年慶讃大法要」の時のものである。池田大作は「法華講総講頭」として、「大石寺開創七百年慶讃委員長」として、日蓮正 ...

□池田大作・創価学会批判の嵐の中、池田大作を「偉大なる指導者」と絶賛していた阿部日顕   1985(昭和60)年2月に、東京・八王子の創価大学構内・東京会館で開催された「創価学会特別記念展」に出展された1979(昭和54)年8月、大石寺67世阿部日顕が池田大作に贈った和歌 ...

大石寺内移動の時は、日産プレジデントに乗り、地方に行く時はベンツに乗る阿部日顕。しかも阿部日顕が乗る日産プレジデントは、最高級グレードのロングタイプで、プレジデントもベンツもガラスはすべて防弾ガラスになっている。 こういう自分勝手な贅沢三昧な生活が批判 ...

1991年、宗創戦争開戦と同時に、日蓮正宗大石寺67世阿部日顕法主は創価学会との戦いを有利に進めるため、1972年当時にわき起こっていた「正本堂の意義付け問題」を持ち出して、1972年4月に先代の大石寺66世細井日達法主が出した訓諭の中の文 「正本堂は広宣流布の暁は本門 ...

1991年に日蓮正宗と創価学会の宗創戦争がはじまってから、日蓮正宗大石寺67世阿部日顕法主は、諸悪の根源・悪行の責任の全てを池田大作一人に押しつけて、自分は涼しい顔で「無罪放免」であるかのように振る舞い出した。しかも法主の自分だけが暖衣飽食をして、創価学会の ...

宗創和合時代、阿部日顕は本行寺住職・平安寺住職・教学部長・総監時代から法主に登座し、池田大作とケンカ別れするまで、一貫して親池田大作、親創価学会の僧侶だった。宗創和合時代から反創価学会の急先鋒だったというのは、ウソである。 阿部日顕は法主に登座してから ...

1991年の宗創戦争で、日蓮正宗が創価学会を破門にし、阿部日顕法主は反創価学会強硬派のように、言われているが、しかし宗創和合時代は、阿部日顕という人物は、日蓮正宗の中でも指折りの親池田大作、親創価学会の僧侶だったことをご存じだろうか。   日蓮正宗は1979(昭 ...

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