■検証128・日蓮正宗や創価学会が唱える日蓮出世の本懐論の欺瞞22

 

□弘安以後に日蓮が図顕した本尊で「弘安式」になっていない日蓮真筆本尊は多数ある

 

大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊を、何がなんでも日蓮の「出世の本懐」の本尊であると定義づけたい日蓮正宗は、大石寺26世日寛の「二千二百三十余年論」を、さらに拡大させて、日蓮が図顕した漫荼羅本尊の相が、文永・建治の本尊よりも弘安の本尊のほうが整っているから、弘安の本尊は、日蓮の究竟の本尊であるとする論を展開している。 日蓮正宗が日蓮七百遠忌を記念して出版した「日蓮正宗要義」という本には、次のようなことが書いてある。

------------------------------------------------------------------

「しかし弘安以前と以後の大漫荼羅の歴然たる変貌相違は、他の部位にもまさに迹門と本門のかわりめというべきものが拝せられるから、その中の一つの理由としての日寛上人の説は大聖人の聖意を拝考する上からは正確であると信ずる。即ち弘安元年の年度において二千二百三十余年と、約半数の本尊に顕示されるところに大聖人が、この時期より末法の寿量本仏の境地を確信し給う究竟の意味を拝せられるのである。次に身延期の文永より特に建治年間はほとんど例外なく、善徳仏と十方分身仏が顕示されるに対し、弘安に入ってまったく廃されている。 これは建治年間が、寿量文上の意を示し、弘安以後、消除せられた大漫荼羅は寿量文底の本仏境界を顕わされたものである。 次に御名花押が左右に隔ててあるのが、次第に歩み寄り、中央で合致するのは前に述べた如く建治二年からである。…弘安に入って御名花押の占める位置が急速に大きくなり、全体を圧する態の雄大さを拝するのである。 花押は弘安元年七月の二幅の本尊から弘安式に改められている。この判形の有無こそ非常に大事であるが、ただ弘安に入って文字の更改が明らかに認められ、そこに凡下のき視すべからざる深意のおわしますのを拝察できる。

以上大漫荼羅の化導については日寛上人の仰せの如く、大旨は弘安以後究竟ということに尽きるのである」(『日蓮正宗要義』p199200)

---------------------------------------------------------------------

つまりこれは、日蓮が図顕した本尊の相にかこつけて、「弘安の本尊究竟論」を展開して、日寛の「二千二百三十余年論」が正しいということを立証しようとしているのだが、残念ながら、日蓮が弘安以後に図顕した本尊の中に、「弘安式」になっていない本尊が多数ある。具体的に言うと、次のようなものがある。

 

  続きを読む