「本尊三度相伝」が大石寺9世日有の偽作である証拠の第一は、「釈迦」の単語を使う人物の中に大石寺9世日有がいること。「日有化儀抄」で「釈迦」の単語が出てくる。(富士宗学要集1巻p78) 第二の証拠は、「本尊三度相伝」に大石寺9世日有が発明した教義「本門寺の戒壇」が ...
カテゴリ: 大石寺『本尊三度相伝』大石寺9世日有偽作論
#113 「本尊三度相伝」偽作の真実1・「本尊七箇相承」と並ぶ曼荼羅本尊書写指南書である「本尊三度相伝」が偽書である証拠はこんなにたくさんある
「本尊三度相伝」は御書全集には載っていないが、「富士宗学要集」第1巻に載っている「本尊七箇相承」と並ぶ有名な曼荼羅本尊書写指南の文書であるが、偽書である。大石寺59世堀日亨は、実質的に「本尊三度相伝」が偽書であると認めている。「釈迦」という単語が出てくるが ...
「本尊三度相伝」大石寺9世日有偽作論(4)~「本尊三度相伝」偽作の馬脚が現れている「日蓮聖人」の語句
□検証4・「本尊三度相伝」偽作の馬脚が現れている「日蓮聖人」の語句 「本尊三度相伝」の内容の不審さは、まだある。次の文をよくよく読んでいただきたい。 「釈迦と申すは天照大神、西天に釈迦と顕れ諸仏の本誓妙法蓮華経を説き、一切衆生悉く是れ吾が子なりと宣ふ。 ...
「本尊三度相伝」大石寺9世日有偽作論(3)~「本尊三度相伝」の「神本仏迹説」は日蓮の教説とは全く相反している
□検証3・「本尊三度相伝」の「神本仏迹説」は日蓮の教説とは全く相反している ところで「本尊三度相伝」の中にも、いわゆる日蓮本仏義が説かれているのだが、これがまた、独特の不審さを呈しているのである。 「本尊三度相伝」の中に説かれる日蓮本仏義とは、以下の文 ...
「本尊三度相伝」大石寺9世日有偽作論(2)~日蓮の教説の中に『本門寺戒壇』というものはない
□検証2・日蓮の教説の中に『本門寺戒壇』というものはない 「本尊三度相伝」の内容において、二番目に奇怪かつ疑義ある点は以下の文である。 「本尊は爾らず。是れは本門寺の戒壇建立の時の面なり。然り而るに本門寺の戒壇は西面に立つ可きなり。其の故は像法の時は仏 ...
「本尊三度相伝」大石寺9世日有偽作論(1)~日蓮も日興も釈迦牟尼仏を常に「釈尊」等の尊号で呼んでおり「釈迦」と下す言い方はしない
□検証1・日蓮も日興も釈迦牟尼仏を常に「釈尊」等の尊号で呼んでおり「釈迦」と下す言い方はしない まず、「本尊三度相伝」なる文書を読んで、まず目につく不自然なつ奇怪なところは、文中随所にある「釈迦」の二字である。 この文書の中では、実に12ヶ所において、「 ...
日蓮正宗大石寺「本尊三度相伝」は大石寺9世日有による偽作文書である
□「富士宗学要集」に載っている「本尊三度相伝」は日蓮・日興とは全く無関係の文書とである 日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が編纂した「富士宗学要集」1巻のP35からP42まで、日蓮正宗の信者が「日蓮から日興への相伝書」と位置づけている「本尊三度相伝」という名前の文 ...
「本尊三度相伝」3
三度 本尊相伝 大聖人云く既に諸仏の本意を覚り出離の大要を得る其の実は妙法蓮華経なり、又云仏滅後二千二百三十余年の間一閻浮提の内未曽有の大漫荼羅なり、朝に低頭合掌し夕に端座して勤め奉り末法弘通の大導師を歎ず御本尊は竪に十界現前し横に三諦相続する事明 ...
「本尊三度相伝」2
二度 本尊の聞き書き。 一、釈迦と申すは天照太神西天に釈迦と顕はれ諸仏の本誓妙法蓮華経を説き一切衆生悉く是れ吾が子なりと宣ふ、日本に又大明神と顕はれ正直に方便を捨つる本願の誓に酬て正直の頭に宿る、末法濁世の時は日蓮聖人と顕はれ諸仏の本意を顕はす、左 ...
「本尊三度相伝」1
「本尊三度相伝」 一、本尊口伝 (図、略す) 示して云はく此の五形は我等が本分なり、迹門には此の五形一々に挙げず只ふさねて境と説く、此の五形の境を始覚の智と云ふ、爰を以つて方便品に云はく其深無量乃至諸法実相と、釈に云く境の淵・辺り無き故に甚深と ...