仏教宗学研究会(アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・アンチ正信会)・アンチ日蓮正宗系・オフィシャルブログ

一般社団法人仏教宗学研究会・YouTube公式チャンネル https://youtube.com/channel/UCjCdnnWJfBHtG-W-HqOJ2yw 正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・アンチ正信会」略称名「アンチ日蓮正宗系」。創価学会や顕正会は勿論の事、その本家本元の日蓮正宗自体も「目くそ鼻くそを笑う」的なものだ。創価学会、SGIや冨士大石寺顕正会、正信会、その他の分派団体……これらの親元・生みの親・育ての親・本家本元は、日蓮正宗です。 (1)主に仏教に関する正確な情報、検証結果、鑑定結果、英昭彦の経験や歴史史実に基づく情報・根拠・証拠に基づく真実の情報を提供することを主眼にしています。 (2)仏教に関する誤った情報、間違った寺伝・伝承、ウソデタラメ・反社会活動・迷惑行為・無断パクリを明らかにして糾していくことも目的に入っています。 (3)反社会活動・迷惑行為等に対する対策・脱出・蘇生法を提案します。伝統仏教の仮面をかぶり、憲法違反、国際人権規約(条約)違反の人権侵害を行い、一般国民の信教の自由・言論の自由を踏みにじるカルト宗教を規制する日本版反セクト法(カルト宗教取締立法)制定、国際カルト宗教規制条約制定、日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会・富士門流執着軍団をカルト宗教に指定して司法監視下に置くことを目指します。これはカルト宗教の専横・弾圧に抵抗する現代の自由民権運動です。 (4)これらを世界中の人に発信して、みなさんの意見を聞きたいのでYouTubeをやっています (5)仏教宗学研究会は日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会・富士門流執着軍団とは全く無関係です・一切の仏教宗派・一切の宗教団体・一切の宗教法人・一切の宗教学者・宗教評論家・マスコミとは全く無関係です (「日蓮七百遠忌大法会」終了後、記念撮影する大石寺67世阿部日顕ら日蓮正宗首脳僧侶と池田大作ら創価学会首脳・昭和56(1981)年10月17日付け聖教新聞)

カテゴリ:創価学会は伝統仏教の仮面をかぶるカルト・謀略政治団体である > 宗創和合時代に創価学会と深い関係にあった大石寺・日蓮正宗末寺寺院

□池田大作発願・創価学会寄進の妙蓮寺本堂・四宿坊落慶を賞賛した大石寺66世日達法主   1974(昭和49)年3月2日、日蓮正宗本山・富士山妙蓮寺で本堂落慶入仏法要が営まれ、法要の大導師を勤めた大石寺66世細井日達法主が、慶讃文の中で、池田大作を「大行尊霊に継ぐ大篤信 ...

□訓諭を発令した大石寺66世細井日達が第1次宗創紛争を引き起こしたとは“お笑いぐさ”だ   創価学会の「折伏大進撃」の時代、1963(昭和38)年7月15日付けで大石寺66世細井日達法主が、日蓮正宗教師僧侶一般と法華講員一般に宛てて、何と創価学会批判を全面禁止する訓諭 ...

□若干36才で大石寺66世細井日達法主から日蓮正宗全信徒のトップに任命された池田大作   日蓮正宗と創価学会が「同じ穴の狢」「目くそ鼻くそ」のカルト宗教である証拠として、大石寺法主自ら、創価学会最高指導者・池田大作を日蓮正宗法華講総講頭に任命したという、動 ...

□開目抄の一節を池田大作に送って「折伏大進撃」を督励した大石寺66世細井日達法主   下記の写真は、昭和35(1960)年5月3日、東京・両国の日大講堂で行われた創価学会第22回本部総会のもようを報道する昭和35(1960)年5月6日付け聖教新聞である。昭和35(1960)年5月3日の ...

1943(昭和18)年4月、日蓮正宗は、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗との合同・合併を辛うじて免れたのだったが、太平洋戦争の進展にともない、かなりヒステリックな様相を強めていた官憲側は、創価教育学会をそのままでは済まさなかった。 官憲側は創価教育学会を日蓮宗合 ...

日蓮正宗は、辛うじて身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗との合同を回避し、単独での宗制の認可を政府から取ったのだったが、問題の推移の中で、日蓮正宗の現役の住職の中から、“神本仏迹論”という日蓮正宗の中でも異端の教義を唱えて日蓮宗との合同を押し進めようとする ...

1940(昭和15)年4月、日本政府は宗教団体法を成立・施行させ、宗教への統制と戦争目的の動員を強く押し進め、その一環として、各宗教教団の大同団結を強く促し、日蓮正宗に対しては、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗との合同を求めた。 1931(昭和6)年の満州事変、1937(昭 ...

現在出版されている、牧口常三郎氏が会長だったころの日蓮正宗(大石寺)と創価教育学会(創価学会)の関係について論じている大半のの文献、解説、歴史資料は、日蓮正宗側、ないしは創価学会側の人物が執筆したもので、内容的には、両者は関係が断絶していたとするものか、な ...

日蓮正宗(大石寺)と創価学会は1991年からの血みどろ?の信者争奪戦争を今も繰り広げており、お互いが、自分たちにとって都合の悪い歴史のページを意図的に覆い隠そうとしたり、自らが出している出版物や文献・書籍などから、都合の悪い歴史の記述をわざと削除して、信者に見 ...

創価教育学会会長・牧口常三郎氏は、自らが発表した価値論について、後の獄中書簡の中で、 「百年前及び其後の学者共が、望んで手を着けない『価値論』を私が著し、而かも上は法華経の信仰に結びつけ、下、数千人に実証したのを見て自分ながら驚いて居る、これ故三障四魔 ...

戦前の堀米日淳と牧口常三郎・戸田城聖の関係については、複数の人の証言がある。 1935(昭和10)年4月に日蓮正宗に入信し、第二次世界大戦後に、創価学会理事長を歴任したのち、日蓮正宗僧侶として出家得度。埼玉県大宮市(現さいたま市)の日蓮正宗寺院正因寺住職になった矢 ...

1937(昭和12)年の創価教育学会の設立以降、日蓮正宗寺院中野教会歓喜寮(現・昭倫寺)主管(住職)堀米泰栄氏(後の日蓮正宗大石寺65世法主日淳)と、創価教育学会会長・牧口常三郎氏の間柄は、次第に悪化していったもようである。 原因は、二人の考え方の大きな相違にあった。 ...

1937(昭和12)年の創価教育学会の発会式に日蓮正宗寺院中野教会歓喜寮主管(住職)堀米泰栄氏(後の日蓮正宗大石寺65世法主日淳)が出席したということは、実質的に創価教育学会を堀米泰栄氏が日蓮正宗信者の団体として是認したことを意味する。 あれだけ牧口常三郎氏の「創価 ...

1932(昭和7)年、日蓮正宗常在寺法華講「直達講」の解散によって、自分たちの居所を失った牧口常三郎氏・戸田城聖氏は、常在寺のそれまでの信者仲間たちと袂を分かち、東京・中野の日蓮正宗寺院・中野教会歓喜寮の住職・堀米泰栄氏(後の日蓮正宗大石寺65世法主日淳)に親近す ...

1932(昭和7)年に日蓮正宗常在寺法華講「直達講」の講頭・三谷素啓氏が死去したことにより、後継講頭の選出を含めた直達講の再建懇談会が開かれたが、直達講顧問の牧口常三郎氏の思想に異質なものを感じていた直達講の講員たちは、牧口氏の講頭就任を拒否。直達講の講中その ...

牧口常三郎氏・戸田城聖氏が日蓮正宗信者として入信した日蓮正宗寺院の常在寺(じょうざいじ)とは、東京都豊島区池袋に今でも所在している寺院で、山号は霊鷲山(りょうじゅせん)といい、正式名は日蓮正宗霊鷲山常在寺という。 ここは江戸時代の初期である1605(慶長10) ...

常泉寺という寺院は、いろいろな意味で有名な寺院である。   江戸時代の常泉寺有縁の人に、近衛熙子(このえひろこ)という人がいた。近衛熙子というと(?)と、首を傾げる人が多いと思うが、この人は、父は近衛基熙、母は後水尾天皇の皇女・(品宮)常子内親王。そして、 ...

以前に「日蓮正宗の黒い疑惑1・日蓮正宗寺院常泉寺で行われた暴力団の発会式」を書いたところ、反響が大きかったので、この常泉寺という寺院が、どういう寺院なのか、について触れておきたいと思います。 常泉寺とは、東京都墨田区向島にある日蓮正宗の古刹寺院で、正式な ...

未だ暴力団がやくざと呼ばれていたころの1953(昭和28)年、暴力団関根組の発会式が、日蓮正宗寺院常泉寺で行われた。関根組は現在の広域暴力団松葉会の前身であるとされている。 1936(昭和11)年頃に談合屋の河合徳三郎門下の関根賢が、東京墨田、江東方面の博徒や愚連隊 ...

私がまだ池袋近郊に住んでいた学生のころ、池袋駅へ行くついでや、バイト先との往復のついでに常在寺住職・早瀬義孔氏とはどんな人物か見ようと、常在寺本堂を覗いてみたのだが、勤行の時に早瀬義孔氏を見かけたのはたったの一度だけ。しかも早瀬義孔氏は、その時はかなり ...

いろいろ日蓮正宗や創価学会のことを研究していくと、この池袋の日蓮正宗寺院・常在寺は、古くから創価学会と深い関係のある寺院であるということがわかってきた。 戦前、創価学会会長・牧口常三郎と理事長・戸田城聖が、日蓮正宗中野教会(現昭倫寺)主管・堀米泰栄氏(後の ...

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