■検証3・宗創戦争勃発後の1990年代以降から年々衰退し滅亡の道を歩んでいる正信会3 □池田大作・創価学会の傀儡と化し創価学会を糾すことに全く消極的だった1970年代の宗務院 日蓮正宗の宗務行政は、頂点に日蓮正宗管長・代表役員である大石寺法主が君臨し、そ ...
カテゴリ:創価学会は伝統仏教の仮面をかぶるカルト・謀略政治団体である > 日蓮正宗vs創価学会の第1次紛争・正信覚醒運動
1970年代後半には日蓮正宗内部の一大派閥と化していた正信覚醒運動の活動家住職・僧侶
■検証2・宗創戦争勃発後の1990年代以降から年々衰退し滅亡の道を歩んでいる正信会2 □大石寺66世細井日達の創価学会批判説法に真っ先に呼応した正信会の五老僧・センター 「正信会」という名称は、1980(昭和55)年7月、日蓮正宗内部の反創価学会運動である「 ...
今、正信会はどうなっているのか(?)1990年代以降から年々衰退して行っている正信会PART1
□正信会とは日蓮正宗内で創価学会批判の共同歩調をとった日蓮正宗寺院住職のグループ 「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」でどんどん日蓮正宗批判、「日蓮正宗系」批判を進行させていく中で、何人かの人から「アンチ日蓮正宗」管理人に対して、「正信会って、今 ...
日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している5
■東京・国立市の大宣寺初代住職・菅野日龍(菅野慈雲)氏の真実6 □日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している5 創価学会は、 「板御本尊の謹刻については、事前に日蓮正宗大石寺66世細井日達法主の許可を得ていた。『知らなかった』とい ...
日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している4
■東京・国立市の大宣寺初代住職・菅野日龍(菅野慈雲)氏の真実5 □日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している4 □1978(昭和53)年1月2日 細井日達法主が1981(昭和56)年10月の日蓮第七百遠忌について 「池田大作を慶讃委員長に任じ…」と ...
日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している3
■東京・国立市の大宣寺初代住職・菅野日龍(菅野慈雲)氏の真実4 □日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している3 □1977(昭和52)年11月9日 大石寺から細井日達法主、宗務院役員が創価学会本部に下向して創価学会創立四十七周年慶祝法要が行 ...
日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している2
■東京・国立市の大宣寺初代住職・菅野日龍(菅野慈雲)氏の真実3 □日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している2 1978(昭和53)年1月、日蓮正宗大石寺66世細井日達法主は、なぜ娘婿の菅野日龍(慈雲)・大宣寺住職に直接電話をして、赤沢朝陽に ...
日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している1
■東京・国立市の大宣寺初代住職・菅野日龍(菅野慈雲)氏の真実2 □日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している1 その菅野日龍氏は、実に波瀾万丈の人生を歩んだ人である。 東京・国立市の大宣寺という寺院に、日蓮正宗大石寺66世細井日達 ...
東京・国立市の大宣寺初代住職・菅野日龍(菅野慈雲)氏の真実1
■日蓮正宗大石寺66世細井日達法主の娘婿になって寵愛を受けた菅野日龍氏 2011(平成23)年2月6日、大宣寺初代住職の菅野日龍氏が行年78才で死去。本通夜・本葬儀が大宣寺本堂で営まれ、大石寺から日蓮正宗大石寺68世早瀬日如法主の他、隠居の先代67世阿部日顕も出仕。 ...
親池田だった阿部日顕が池田大作を総講頭罷免・破門したいなら日顕も法主を辞職するのが筋だ
宗創和合時代、阿部日顕は本行寺住職・平安寺住職・教学部長・総監時代から法主に登座し、池田大作とケンカ別れするまで、一貫して親池田大作、親創価学会の僧侶だった。宗創和合時代から反創価学会の急先鋒だったというのは、ウソである。 阿部日顕は法主に登座してから ...
池田大作の誤りを見破っていたなら、なぜ賞与本尊を授与したのか
1991年の宗創戦争で、日蓮正宗が創価学会を破門にし、阿部日顕法主は反創価学会強硬派のように、言われているが、しかし宗創和合時代は、阿部日顕という人物は、日蓮正宗の中でも指折りの親池田大作、親創価学会の僧侶だったことをご存じだろうか。 日蓮正宗は1979(昭 ...