アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ

正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」。創価学会や顕正会は勿論の事、その本家本元の日蓮正宗自体も「目くそ鼻くそを笑う」的なものだ。創価学会、SGIや冨士大石寺顕正会、正信会、その他の分派団体……これらの親元・生みの親・育ての親・本家本元は、日蓮正宗です。 伝統仏教の仮面をかぶり、国際人権規約(条約)違反の人権侵害を行い、信教の自由から逸脱した専横活動を行い、一般国民の信教の自由を踏みにじる弾圧を行うカルト宗教を規制する新立法・新条約制定を目指します。日蓮正宗、創価学会、顕正会をカルト宗教に指定して司法監視せよ。反日蓮正宗系活動はカルト宗教の専横・独裁・専政・弾圧に抵抗する現代の自由民権運動である。 (「日蓮七百遠忌大法会」終了後、記念撮影する大石寺67世阿部日顕ら日蓮正宗首脳僧侶と池田大作ら創価学会首脳・昭和56(1981)年10月17日付け聖教新聞)

大石寺史27・日蓮正宗vs創価学会の第1次紛争・正信覚醒運動

□正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」です
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/29372252.html
□反日蓮正宗・反創価学会・反顕正会・反正信会路線の「アンチ日蓮正宗」
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_695541.html
「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。富士門流執着軍団批判は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄だが、「日蓮正宗系」以外の富士門流寺院の調査・研究は「仏教宗学研究会のブログ」の管轄。「仏教宗学研究会」への誹謗中傷に対する反撃・糾弾は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」から、カルト宗教対策、カルト宗教取締特別立法、カルト宗教拡散防止条約制定の活動部分を独立させたものが「国際カルト宗教対策委員会(Icat-Cult)」
□「アンチ日蓮正宗」「Icat-Cult」「仏教宗学研究会」は表裏一体の同体」
http://international-committee-against-cult.doorblog.jp/archives/1655529.html
□「国際カルト宗教対策委員会・公式ブログ」
http://international-committee-against-cult.doorblog.jp/
□「アンチ日蓮正宗」の5番目の批判ターゲットに「富士門流執着軍団」を指定
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/38818720.html
□「アンチ日蓮正宗」の基本方針・基本政策・メインテーマ
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1081721.html

□日蓮正宗とは伝統仏教の仮面をかぶるカルト・宗教詐欺集団である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1155403.html
□創価学会は伝統仏教の仮面をかぶるカルト・謀略政治団体である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_622031.html
□冨士大石寺顕正会とは伝統仏教の仮面を被るカルト・暴力集団である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_496386.html
□妙観講とは伝統仏教の仮面をかぶるカルト・謀略集団である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_690733.html
□日蓮正宗正信会とは日蓮正宗の仮面をかぶる創価学会の分派である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_496387.html
□「富士門流執着軍団」とは伝統仏教の仮面を被る謀略軍団である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1055717.html
□日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会は同じ穴の狢・同罪である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_174276.html
□日蓮正宗管長・代表役員・大石寺法主への離檀宣告書の書式
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/30268020.html
□日蓮正宗からの離檀1(離檀届)
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17606850.html
□創価学会からの脱会1(脱会届)
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17607967.html
□冨士大石寺顕正会からの脱会1(脱会届)
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17611881.html
□正信会からの脱会1(離檀届)
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17613697.html
□日蓮正宗批判・創価学会批判・顕正会批判は他のカルト宗教批判と構造が異なる
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/33730660.html
□「アンチ日蓮正宗」は永世中立・非同盟・不偏不党・自主独立機関
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_689583.html
□アンチ日蓮正宗・コミュ・ブログ・管理人
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_613423.html
□「アンチ日蓮正宗」の主宰者・管理人は無宗教である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/9893862.html
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/9911806.html
□「アンチ日蓮正宗」はいかなる団体・宗派も支持しない・連合しない
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/10655360.html
□「アンチ日蓮正宗」は単なる数合わせの政治的野合・連合体をめざさない
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/35069469.html
□「『アンチ日蓮正宗』の内容は正確で、問題の本質をとらえている」と日蓮正宗の現役信者・元信者が認めている
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/12617039.html
□「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」管理人の自叙伝
「実録・となりの創価学会員・法華講員」
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_610577.html
<注意事項>
□「アンチ日蓮正宗」の全ての記事・写真等の無断転載、無断使用、無断複製、無断模倣は厳禁です
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17463344.html
□「「3ブログ」は言論の自由・表現の自由のサイトであり名誉毀損・誹謗中傷・業務妨害サイトではない」
http://bukkyoshugakukenkyukai.doorblog.jp/archives/49127458.html
□「ニセhide」「ニセアンチ日蓮正宗」の謀略にご注意下さい
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1186234.html
□英昭彦以外の者が他のインターネットサイト・SNS・他の著作物等で「アンチ日蓮正宗」管理人「hide」を名乗ることを厳禁する

□日蓮正宗系カルト対策とオウム・統一教会・幸福の科学等のカルト対策は別個である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/30040491.html
□「日蓮正宗系」離檀・離宗・脱会確認後、最低5年間は『様子見期間』とさせていただいています
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/43144396.html

<協力要請>

□「日蓮正宗系」カルトを離檀・離宗・脱会された方々へ情報提供・内部告発の協力要請
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/43712967.html
<ご相談>
□御相談は全て管理人の電話にて受け付けていますので電話をお願いします
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/42053605.html
□管理人の連絡先
(mobile)
080-6553-2774
anti-nichirenshoshu@ezweb.ne.jp
(telephone)
03-6325-6401
(FAX)
03-6325-7926
(PC)
anti_nichirenshoshu@jcom.zaq.ne.jp
(管理人名)英昭彦(hide_akihiko)

「正信覚醒運動」を過激にリードしていった「裏の宗務総監」「裏の宗務院・正信会の五老僧」

■検証3・宗創戦争勃発後の1990年代以降から年々衰退し滅亡の道を歩んでいる正信会3

 

□池田大作・創価学会の傀儡と化し創価学会を糾すことに全く消極的だった1970年代の宗務院

 

日蓮正宗の宗務行政は、頂点に日蓮正宗管長・代表役員である大石寺法主が君臨し、その下に宗務総監を長とする宗務院があって、これが日蓮正宗内部の行政機関に相当し、宗務行政を司る。そして日蓮正宗内部の立法機関に相当する宗会と、日蓮正宗内部の司法機関に相当する監正会がある。ところが1978(昭和53)年ころから、大石寺66世細井日達法主は、宗務院とは別に、「正信会五老僧」をはじめとする日蓮正宗内部の反創価学会系僧侶を扇動して、池田大作や創価学会を糾そうとした。なぜ通例のように、宗務院主導で池田大作や創価学会を糾そうとしなかったのか。それは1970年代の宗務院が、完全に池田大作や創価学会の傀儡と化していて、創価学会を糾すことについて、全く消極的だったからである。当時の宗務院は早瀬日慈総監を筆頭に阿部信雄(日顕)教学部長(後の大石寺67世法主)、藤本栄道(日潤)庶務部長(大石寺67世日顕の代の総監、大石寺68世日如の代の重役)、吉田義誠(日勇)渉外部長、能勢順道財務部長。特に大石寺66世細井日達法主は、早瀬日慈総監(法道院三代主管・大石寺67世日顕の代の重役・大石寺68世日如の父親)が、創価学会の傀儡であるとの強い不満を持っていた。当時の宗務院が創価学会の傀儡化していた象徴的な事例がある。大石寺66世細井日達法主と創価学会三代会長・法華講総講頭・池田大作との不協和の最初は、1973(昭和48)1014日、大石寺での正本堂建立一周年記念法要の席で、池田大作が公衆の面前で「十億、本山から学会に寄付して下さい」「二人で話し合ったことが壊れるようでは信用できません。これからは皆の前で堂々とやります」「もう隷属はしません」「皆が欲しいのは慈悲です」「(富士)学林もそっちで建てて下さい」等々と、大石寺66世細井日達法主を怒鳴りつけた事件だとされる。

池田大作・日達罵倒事件1
 

(1973(昭和48)1014日、大石寺・正本堂建立一周年記念法要で、池田大作が大石寺66世細井日達を怒鳴りつけた発言を記録した創価学会内部文書「正本堂退出路における先生の直言」)

その3日後の1017日、日蓮正宗総監・早瀬日慈氏と創価学会副会長・北条浩氏の間で「覚書」が交わされた。内容は以下の通りである。

「覚書

一、 創価学会の多年に亘る広布創業の労に対し、宗門は満腔からの謝意を表し、ここに一金壱拾億円也を贈る。この支払いに就いては別紙の通りとする。

二、 正本堂基金三億七千六十万円(現在高)については、昭和四十九年四月以降、創価学会に於いて自由に使用して頂きたい。

三、 富士宮市の市民センター建設に対する寄付。要望については、大石寺として七億円を考える。本件については、創価学会と緊密に連携を保ちつつ対処する。

四、 富士学林の建設は大石寺で行う。       以上

昭和四十八年十月十七日

                        日蓮正宗総監      早瀬日慈 印

                        創価学会副会長     北条 浩 印」

昭和48年・宗務院・創価学会覚書1
 

(昭和48(1973)1017日、日蓮正宗総監・早瀬日慈氏と創価学会副会長・北条浩氏の間で交わされた「覚書」)

 

続きを読む

1970年代後半には日蓮正宗内部の一大派閥と化していた正信覚醒運動の活動家住職・僧侶

 

■検証2・宗創戦争勃発後の1990年代以降から年々衰退し滅亡の道を歩んでいる正信会2

 

□大石寺66世細井日達の創価学会批判説法に真っ先に呼応した正信会の五老僧・センター

 

「正信会」という名称は、1980(昭和55)7月、日蓮正宗内部の反創価学会運動である「正信覚醒運動」の「活動家」住職・僧侶が大石寺蓮東坊に集結。「正信会」というグループ名を名乗ったのが最初で、当時の大石寺蓮東坊住職は、日蓮正宗宗務院財務部長だった丸岡雄道氏。1980(昭和55)7月当時、日蓮正宗宗会議員の約3分の2近くが「正信覚醒運動」の「活動家」住職。日蓮正宗宗務院役員も藤本栄道(総監)、大村寿顕(日統)教学部長、秋元広学(日高)渉外部長は大石寺67世日顕派だったが、菅野慈雲(日龍)庶務部長兼海外部長、丸岡雄道財務部長は「正信覚醒運動」(正信会)系住職だった。その後、菅野慈雲(日龍)氏、丸岡雄道氏は宗務院役員を解任され、大石寺67世日顕派の早瀬義孔氏が庶務部長に、前川慈筆(日秀)氏が海外部長に、長倉教明(日延)氏が財務部長に任命されている。その早瀬義孔氏が病気退任した後に庶務部長に任命されたのが、早瀬日慈重役(当時)の長男・早瀬義寛氏。後の大石寺68世早瀬日如である。

「正信会」が「正信会」と名乗る以前は、「正信覚醒運動」の「活動家」住職・僧侶と呼ばれていた。彼ら「正信覚醒運動」のリーダー格は、千葉県佐原市(現・香取市)涌化寺住職・丸岡文乗氏、静岡県藤枝市応身寺住職・荻原昭謙氏、大分県別府市寿福寺住職(後に神奈川県小田原教会主管に転任)佐々木秀明氏、兵庫県西宮市堅持院主管・渡辺広済氏、東京・目黒区妙真寺住職・山口法興氏の五氏。これに大石寺66世細井日達法主の直弟子ら200人を超える住職・僧侶がつづいた。先の五人は、当時、若手僧侶だった大石寺66世細井日達の直弟子僧侶よりも格上で、大石寺66世細井日達の創価学会批判説法に真っ先に呼応して、日蓮正宗内部で創価学会批判活動をはじめた僧侶。この五人の中での僧階は渡辺広済氏が最上位になるが、創価学会批判の実績があるのは山口法興氏。この五人は大石寺66世細井日達の創価学会批判説法に真っ先に呼応した「正信覚醒運動」のリーダー格という意味で、「正信会の五老僧」とも「正信会のセンター」とも呼ばれていた。先の五人を「五老僧」とか「正信会のセンター」と呼んでいたのは、「正信会」寺院住職・僧侶・信者自身である。1981(昭和56)年に入って、正信会「会長」の肩書きで日蓮正宗や創価学会等にとりあげられた大阪・淀川区蓮華寺住職・久保川法章氏は、「正信会」系全国檀徒新聞「継命」でも、「正信会」系全国檀徒大会でも、久保川法章氏に使われた肩書きは「宗会議長」である。これは久保川法章氏が1980(昭和55)10月に大石寺67世阿部日顕法主によって第5回全国檀徒大会を主導した「正信会」住職・僧侶が処分される以前まで「宗会議長」だったためで、「正信会」は1980(昭和55)10月の処分を認めない立場から、「宗会議長」の肩書きをその後も使っていた。ではなぜ一時、久保川法章氏が「正信会・会長」となったのか、ということだが、「正信会」は結成後、代表者人事をめぐって紛糾。そこで大石寺67世阿部日顕法主と同じ大石寺60世阿部日開の門弟で、宗会議長の要職にもあり、「正信覚醒運動」の「活動家」住職の中では僧階最上位だった久保川法章氏が「会長」とされて調整が図られたものと思われる。しかし久保川法章氏が「正信覚醒運動」に参加したのは、先の「五老僧」「正信会のセンター」の五人に比べると、ずっと後のことで、この調整人事は失敗に終わり、正式に正信会の代表者としての正信会初代「議長」に選出されて「継命」や全国檀徒大会に登場したのは、「正信覚醒運動」を最初からリードしてきた「正信会のセンター」「五老僧」の中の僧階最上位、兵庫県西宮市堅持院主管・渡辺広済氏であった。

 

続きを読む

今、正信会はどうなっているのか(?)1990年代以降から年々衰退して行っている正信会PART1

□正信会とは日蓮正宗内で創価学会批判の共同歩調をとった日蓮正宗寺院住職のグループ

 

「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」でどんどん日蓮正宗批判、「日蓮正宗系」批判を進行させていく中で、何人かの人から「アンチ日蓮正宗」管理人に対して、「正信会って、今、どうなっているんですか」「正信会って、今、何をしているんですか」「正信会は、どうなんですか」等々、正信会に関する質問がいくつも寄せられている。この質問は、創価学会、法華講、顕正会等「日蓮正宗系」から離檀・離宗・脱会した人のみならず、最初から「日蓮正宗系」以外の他宗派だった人、創価学会を脱会して法華講に入った信徒、「日蓮正宗系」を転々とカルトサーフィンしている人、創価学会や日蓮正宗から数多くの宗教被害を受けて来られた方々からも、寄せられている。さらに富士門流執着軍団などには、今さら正信会系全国檀徒新聞「継命」を紐解きながら、正信会や宗創関係について、コメントしている者までいる。それはあたかも、自分が世界ではじめて正信会について研究していると錯覚しているしているのではないかと思われるものすらあるくらいだ。

1990年代の第二次宗創紛争・宗創全面戦争が最も火花を散らしていたころは、法華講は創価学会との対立・紛争を有利に進めようと、「日蓮正宗大石寺と正信会は連合しないのか」「正信会は早く大石寺に帰伏しないのか」等々、そんなことを期待していたようなのだが、現在の所、正信会は日蓮正宗と連合していないし、大石寺に帰伏していない。ただし、正信会寺院住職・僧侶が日蓮正宗から破門されて以降、又1990年代の第二次宗創紛争・宗創全面戦争が勃発して以降、数人の正信会寺院住職が、日蓮正宗に帰伏している。

まず正信会とは一体何であるのか、ということだが、正本堂落慶以降、1970年代半ばにはじまる大石寺66世細井日達法主と創価学会会長・法華講総講頭・池田大作の対立に端を発した第一次宗創紛争において、堪忍袋の緒が切れた大石寺66世細井日達法主の池田大作批判・創価学会批判説法にいち早く呼応し、大石寺66世細井日達法主の創価学会批判の説法・指南を金科玉条にして創価学会批判説法等の共同歩調をとった日蓮正宗寺院住職のグループである。

第一次宗創紛争は、当初は大石寺66世細井日達と創価学会会長・法華講総講頭・池田大作、創価学会幹部との対立だったが、1974(昭和49)年、大石寺66世細井日達法主が大石寺の僧侶の会合で、創価学会批判の説法を行い、僧侶の啓発を行った。一旦は細井日達法主と池田大作は和解したのだったが、池田大作が1975(昭和50)11日に創価学会本部師弟会館で、1951(昭和26)年に大石寺64世水谷日昇が創価学会に下付した「大法弘通慈折広宣流布大願成就」「創価学会常住」の脇書が入った常住本尊を模刻した板本尊の入仏式を、池田大作の導師で強行。さらに1977(昭和52)11日の創価学会本部での新年勤行で火蓋を切った「昭和52年路線」とよばれる教義問題が発生して、再び日蓮正宗と創価学会の関係が険悪になった。

池田大作は、1977(昭和52)年夏、日蓮正宗ナンバー2の早瀬日慈総監を創価学会本部に招いて板本尊開眼法要を行ったが、日蓮正宗と創価学会の険悪な関係は収まらず、池田大作は1977(昭和52)11月、創価学会本部に大石寺66世細井日達を招き、創価学会本部師弟会館で法主の大導師で板本尊の開眼法要を行った。さらに池田大作は1977(昭和52)12月、九州宮崎県日向市の定善寺法要に出向き、公衆の面前で過去の経緯について大石寺66世細井日達に陳謝して、頭を下げた。これで日蓮正宗と創価学会の不協和音は収まるかに見えた。

第1回全国檀徒大会1
 

(大石寺大講堂での第1回全国檀徒大会に臨席して説法した大石寺66世細井日達)

 

続きを読む

創価学会批判活動家・原島嵩氏の反創価学会活動・創価学会批判活動を検証する

□長らく池田大作側近幹部だった人物しか知り得ない創価学会機密を外部に暴露した原島嵩氏

 

1970年代から8090年代にかけて、日蓮正宗、創価学会、顕正会、正信会等「日蓮正宗系」の信者だった人で、原島嵩氏の名前を知らない人は、おそらくいないであろうと思われる。1970年代以前生まれの年代の創価学会員、元創価学会員は、創価学会教学部長だったころの原島嵩氏と因縁が深い人が多い。それくらい有名な人である。その原島嵩氏とはどんな人なのか。

原島嵩氏とは、創価学会・原島宏治理事長・公明党初代委員長の次男で1938(昭和13)年生まれ。翌年、わずか1才で両親に連れられ、日蓮正宗・創価学会に入信している。原島宏治氏とは、戸田城聖亡き後、創価学会3代会長に池田大作を推戴したことで有名な人物。池田大作は会長就任の創価学会本部総会の直後、原島宅を訪れ、原島宏治氏は池田大作に「とにかくわがままな息子ですが、よろしくお願いします」と言い、池田大作は「弟子第一号だ」と言って喜んだという。この逸話は、創価学会総合青年部長・野崎勲氏の著書「謀略」にも載っている。

原島嵩氏は、創価学会内でトントン拍子に出世していった。特に原島嵩氏は、教学の分野で才能を発揮。まだ学生時代だった1956年、教学部講師、1959年、教学部助教授、1962年、教学部教授、副学生部長。1964年の早稲田大学商学部卒業で聖教新聞社入社。池田大作が創価学会幹部に行った御義口伝講義を受講し、感銘した旨の文を書いている。1966年、特別書籍局長、1968年にはわずか30才の若さで創価学会教学部長に任命される。昭和40年代から50年代前半の創価学会教学出版を一手に手がけた他、池田大作の本部総会講演の原稿の代筆も行った。その存在感はひときわ大きく、池田大作の最側近幹部とか四代会長候補といわしめた人物。1969年に総務、1970年に宗教法人創価学会責任役員、理論室長、1972年に創価学会師範、1974年に聖教新聞論説主幹、1977年に聖教新聞編集発行人、1979年に教学研究室長になった。

そんな原島嵩氏が1980年、池田大作に諫言。これが聞き入れられずに池田大作に造反、反旗を翻した。そして創価学会の全ての役職解任になり除名された。ちょうど時期的には、創価学会顧問弁護士だった山崎正友氏が、池田大作に造反したころで、創価学会は山崎正友氏、原島嵩氏の造反を「二人組事件」などと呼んで、ボロクソにこき下ろした。

原島嵩氏は、長らく池田大作の側近幹部だった原島嵩氏しか知り得ない創価学会機密を外部に暴露した。いわゆる北条報告書、山崎・八尋報告書といった創価学会内部機密文書をすっぱ抜いた他、さらに著書「池田大作先生への手紙」や正信会機関紙・全国檀徒新聞「継命」等で、1974(昭和49)年当時、すでに大石寺66世細井日達法主が池田大作に下附した正本堂記念本尊を、池田大作が板本尊に模刻していたこと、1972(昭和47)10月、大石寺の正本堂落慶法要の時、池田大作が創価学会員が乗る下山バスに「本日、七百年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました。ありがとう」と伝言させたこと等々を暴露した。この原島嵩氏の内部告発で、昭和5556年当時、数多くの創価学会員が脱会し、日蓮正宗・創価学会の歴史が大きく動いたことは事実である。

 

続きを読む

創価学会が公式に認めている池田大作による病身の吉田義誠(日勇)氏・数珠さすりの“祈祷”

■静岡・富士宮市本山下条妙蓮寺45代住職・吉田日勇(義誠)氏の真実3

 

□創価学会が公式に認めている池田大作による病身の吉田義誠(日勇)氏・数珠さすりの“祈祷”

 

吉田日勇氏の「隠された履歴」の第二は、池田大作数珠さすりの“祈祷”“まじない”である。これは「創価学会独立路線」として日蓮正宗内部から批判の嵐が沸き上がった、あの「昭和五十二年路線」のころ、池田大作の“本仏気取り”の振る舞いとして、やり玉に挙がったもののひとつに、数珠さすりの“祈祷”“まじない”というものがあった。「数珠さすり」とは、池田大作独特の“祈祷”“まじない”で、病人の背中を数珠でさすったり、叩いたりして“病魔を追い出す”のだという。まるで新興宗教の教祖か祈祷師さながらである。当時、渉外部長だった吉田義誠(日勇)氏が病気になったとき、池田大作の数珠さすりの“祈祷”“まじない”の世話になったことが週刊誌で暴露された。

これに創価学会は、当初は秋谷栄之助副会長(当時)が、いきり立って否定していた。

「さらに御宗門の吉田尊師(渉外部長)に対し、名誉会長が数珠を取りだしてさすったとの記事も書いてありましたが、この件に関しては、吉田渉外部長みずからが『あのような事実はありません。私が倒れたことはありますが、その時の名誉会長は、私が楽になるよう、すぐに背広とネクタイをはずすよう指示してくださったのです』と証言されている通りなりです」

(1980(昭和55)627日付け聖教新聞)

ところがこの16日後、創価学会が一転して吉田義誠(日勇)渉外部長に対する池田大作数珠さすりの“祈祷”“まじない”を認めるコメントを出すのである。

「なお、627日付けの記事中、吉田渉外部長にかかわる件で関係者の記憶違いがあり、その後、御宗門からもご指摘があり、再度調査したところ、(池田大作が吉田義誠氏に対して)数珠を手にして、さすられたとのことであります。また、吉田渉外部長のコメントについては、(吉田義誠)御尊師が気分が悪くなって倒れられたご当人であるため、明確な意識がなかったものと思われます。ここに訂正いたします。ただ、数珠でさすりながら題目をあげたことについては、一心に平癒をご祈念しての信心から出た行為であり、いわれるところの“まじない”とか“通力”とかいうものではありません」(1980(昭和55)713日付け聖教新聞)

このように秋谷栄之助副会長(当時)のコメントとして、池田大作が吉田義誠(日勇)渉外部長が倒れたとき、池田大作が数珠を手にして吉田義誠(日勇)渉外部長の体をさすりながら題目をあげるという、数珠さすりの“祈祷”をしたことを認めている。創価学会では「“まじない”ではない」と言っているが「まじない」とは国語辞典によれば「神仏その他不可思議なものの威力を借りて、災いや病気などを起こしたり、また除いたりする術」と載っている。それだったら、池田大作が数珠を手にして吉田義誠(日勇)渉外部長の体をさすりながら題目をあげるというのは、まさに“まじない”ではないか。その後、吉田義誠(日勇)渉外部長が健康を回復したというのが、何とも面白い。

 

続きを読む
メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
最新記事(画像付)
最新コメント
livedoor プロフィール
カテゴリ別アーカイブ
  • ライブドアブログ