□日蓮宗内部の教学研究は評価されるが一般世間や脱退者のニーズには合致していない
「「アンチ日蓮正宗」の日蓮正宗系教学批判と日蓮宗の日蓮正宗系教学批判は全く構造が異なる」ことを論じたところ、大きな反響があった。端的に言うと、日蓮宗の「日蓮正宗系」「創価学会系」教学批判----これは過去に出た日蓮宗宗務院刊行の「日蓮正宗・創価学会批判」のみにとどまらず、安永弁哲氏「板本尊偽作論」、宮崎英修氏、早坂鳳城氏らの論文、東佑介氏らの発表を含めた日蓮宗現代宗教研究所の教学研究発表大会で発表される論文等々、これらにおしなべて共通しているのは、大石寺「戒壇の大本尊」「二箇相承」「日興跡条条事」「百六箇抄」「本尊七箇相承」等々が日蓮の真筆なのか、偽作なのか、という点に焦点が当てられ、「コレは偽作だ」で結論を下し、これで終わってしまっているということである。これらの研究論文は、日蓮宗内部では評価が高いものが多いことは承知しているが、しかしながら一般世間や「日蓮正宗系」「創価学会系」カルト教団脱退者のニーズに合致していない。なぜなら、日蓮宗内部の「日蓮正宗系」「創価学会系」教学批判は、「日蓮正宗系」「創価学会系」教学批判を主眼に置いたものではなく、あくまでも日蓮宗内部の教学研究、学問研究を主眼に置いたものだからである。日蓮宗内部の教学研究、学問研究ということは、例えば、立正大学等では「日蓮遺文全集」等の出版事業を行っている。「日蓮遺文全集」というからには、まかり間違っても偽書を「真書」として載せるわけにはいかない。数百万檀信徒がいる日蓮宗が公式に刊行する「日蓮遺文全集」に、偽書を「真書」として載せてしまったら、日蓮宗教学の権威は失墜してしまう。日蓮遺文(御書)については、日蓮宗のみならず、多方面で真書・偽書の検証・研究が行われているが、現在のところ、「日蓮遺文(御書)」と称される全ての文書について、日蓮真書か偽書かの結論が出ているわけではない。日蓮真書か偽書か判定が決していない「真偽未決」と称される文書も多々ある他、日蓮を宗祖とする宗派の中で、日蓮真書、偽書、真偽未決の見解が分かれている文書もある。また、「日蓮遺文(御書)」と称される文書のみならず、「日蓮曼荼羅本尊」と称される大曼荼羅本尊についても、真書・偽書の検証・研究が行われている。かつて立正安国会が「日蓮曼荼羅本尊」と称される大曼荼羅本尊の中で、「日蓮真筆」と鑑定した大曼荼羅本尊の写真集「日蓮真筆御本尊集」を出版したことは、あまりにも有名である。大曼荼羅についても、その全てについて日蓮真書か偽書かの結論が出ているわけではないし、日蓮を宗祖とする宗派の中で、日蓮真書、偽書、真偽未決の見解が分かれているものがある。例えば日蓮正宗総本山大石寺の「戒壇の大本尊」「二箇相承」「日興跡条条事」「百六箇抄」「本因妙抄」「本尊七箇相承」「本尊三度相伝」は、日蓮正宗、創価学会、顕正会、正信会等「日蓮正宗系」は日蓮真筆だとしているが、日蓮正宗系以外の他宗派は「偽作」と判定している。日蓮本宗本山要法寺「称徳符法の大本尊」は、日蓮本宗は日蓮真筆だとしているが、他宗派は「偽作」と判定している。
日蓮遺文(御書)、大曼荼羅の真書・偽書の判定は、仏教宗派の研究分野として存在することは事実であり、その分野の研究がつづいていくこと自体は、有意義なものだと考える。ただし、そういう日蓮宗内部の研究として行われている「日蓮正宗系」教学批判は、そのまま一般世間や「日蓮正宗系」脱退者のニーズに合致していないと言っているのである。
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