□米山士郎は「継命」題字のパクリ疑惑について自らの主宰するブログで明確に釈明せよ

 

上の写真は、元創価学会員の富士門流執着軍団のメンバーで、富士門流執着軍団主宰の「脱会者座談会」で講師も務めた「そううそ」こと米山士郎のブログ「創価学会の信仰に功徳はあるか?」。

下の写真は、1989(平成元年)1015日付けの正信会機関紙・全国檀徒新聞「継命」である。その一面にはデカデカと「創価学会に『功徳』はあるか」との題字が踊っている。

「創価学会に『功徳』はあるか」との意味は、当然、「創価学会の信仰に功徳はあるか?」ということでしょうね。米山士郎のブログ「創価学会の信仰に功徳はあるか?」と1989(平成元年)1015日付けの正信会機関紙・全国檀徒新聞「継命」の題字「創価学会に『功徳』はあるか」は、全く瓜二つ。そっくりである。この二つは、どっちが先かというと、正信会機関紙・全国檀徒新聞「継命」の題字「創価学会に『功徳』はあるか」は、1989(平成元年)1015日付け。米山士郎のブログ「創価学会の信仰に功徳はあるか?」の記事第一号の日付は、20060105 223000秒となっている。となれば、パクったとすれば、米山士郎が正信会機関紙・全国檀徒新聞「継命」の題字をパクったことになる。

「宗創戦争以降に創価学会に入信したそんな米山士郎が、正信会機関紙・全国檀徒新聞「継命」の題字なんぞ、知っているわけないじゃないか」と言う人もいるが、そんなことはない。

米山士郎は知らなくても、米山士郎の交友関係がある人物の中に、正信会や全国檀徒新聞「継命」に詳しい人物がいる。その人物の名は大木道惠。1990年代のころから、日蓮正宗・創価学会の二重スパイ疑惑で有名な男である。かつて大木道惠がオフ会だの独歩の会だのを主宰していたころ、米山士郎も顔を出し、大木道惠との親密ぶりを見せつけていたことは、参加者の間ではまことに有名である。大木道惠ならば、当然、正信会機関紙・全国檀徒新聞「継命」の題字ぐらいは知っている。大木道惠から資料提供を受けて、米山士郎がブログタイトルを考えついたとしても、責任は米山士郎にある。さてこのパクリ疑惑について、米山士郎は何と釈明するのか。

まさか「偶然の一致」とは、言うまいね。なぜなら、米山士郎は、元創価学会員で、創価学会に疑問を呈するブログを立ち上げているはず。元創価学会員ならば、創価学会の信仰に功徳があるかないかぐらいは、一目瞭然にわかっているはず。創価学会を脱会したのに、「創価学会の信仰に功徳があるのか、ないのか」悩んでいる人など、いるわけがない。100人中、100人が「功徳など、あるわけがない」と言うであろう。

正信会機関紙・全国檀徒新聞「継命」の題字「創価学会に『功徳』はあるか」は、創価学会ないしは創価学会員の社会的不祥事を批判する特集号の題字として使っている。1980年代のころ、正信会は、創価学会員宅のポストに「継命」を投函する運動を行っており、この特集号も、創価学会員向けに造られたと思われる。だから全国檀徒新聞「継命」がこの題字を使うのは、なんとなくうなずけるのだが、米山士郎のブログのほうは、創価学会ないしは創価学会員の社会的不祥事を批判しているわけでもなく、何を言いたいのか、わけのわからない記事が並んでいる。それでどうして、ブログタイトルが「創価学会の信仰に功徳はあるか?」になるのか。ほとんどスジが通っていないのである。だから「偶然の一致」というのは、あり得るわけがない。

 

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