大石寺では、日蓮、日興、日目から現68世日如法主まで「唯授一人血脈相承」が断絶することなく相承されてきたと称している。創価学会、顕正会、正信会は、日蓮、日興、日目から大石寺66世日達までは血脈相承を認めており、66世日達と67世日顕の間で血脈相承がなされなかった ...
カテゴリ:大石寺9世日有偽作の証拠・「唯授一人血脈相承」の大ウソ・謀り > 唯授一人血脈相承が日興・日目・日道・日行の代に存在しなかった証拠
血脈相承は9世日有の偽作だ(51)~「五人所破抄見聞」の筆者は富士妙蓮寺日眼ではなく戦国時代以降の文書である
■検証51・「五人所破抄見聞」の筆者は富士妙蓮寺日眼ではなく戦国時代以降の文書である □「五人所破抄見聞」は大石寺9世日有以前に「二箇相承」が存在した証明ではない 二つめの文献は、1380(康暦2)年に富士門流の本山寺院・富士妙蓮寺(現・日蓮正宗本山妙蓮寺) ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(50)~日頂の書とされる「本尊抄得意抄添書」は後世の偽作文書
■検証50・日頂の書とされる「本尊抄得意抄添書」は後世の偽作文書 □歴史上はじめて「二箇相承」の全文を引用した人物は本是院日叶(左京阿闍梨日教)である 二箇相承書の全文を載せた最古の文献は、1480(文明12年) 本是院日叶(左京阿闍梨日教)が「百五十箇条」で ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(49)~日朗の富士来訪、日頂の重須帰伏は「二箇相承」「唯授一人血脈相承」とは全く関係なし
■検証49・日朗の富士来訪、日頂の重須帰伏は「血脈相承」とは全く関係なし □日頂が重須に帰伏したのは養父・富木常忍に勘当され弘法寺から擯出された故である ---------------------------------------------------------------------- (日蓮正宗の妄説) 他門では" ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(48)~大石寺門流にはじめて「本堂」「客殿」を京都・奈良から輸入した大石寺9世日有
■検証48・日蓮正宗大石寺格蔵の「日興跡条条事・日興真筆」の真っ赤な大ウソ11 □大石寺門流にはじめて「本堂」「客殿」を京都・奈良から輸入した大石寺9世日有 日蓮正宗大石寺9世法主日有がイメージした「本堂」とは、大石寺9世日有が偽作した文書「百六箇抄」に ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(47)~大石寺には創建当初から「本堂」「御堂」「客殿」と呼ばれる堂宇はなかった2
■検証47・日蓮正宗大石寺格蔵の「日興跡条条事・日興真筆」の真っ赤な大ウソ10 □大石寺には創建当初から「本堂」「御堂」「客殿」と呼ばれる堂宇はなかった2 それでは「本堂」という堂宇は、そもそもどういう堂宇・伽藍なのだろうか。 日本に仏教が伝来した当初 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(46)~大石寺には創建当初から「本堂」「御堂」「客殿」と呼ばれる堂宇はなかった
■検証46・日蓮正宗大石寺格蔵の「日興跡条条事・日興真筆」の真っ赤な大ウソ9 □大石寺には創建当初から「本堂」「御堂」「客殿」と呼ばれる堂宇はなかった 大石寺には創建当初から「本堂」「御堂」「客殿」と呼ばれる堂宇はなかった。 「日蓮聖人の御影並びに御 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(45)~『日興上人御遺跡の事(誡めの状)』は後世の偽作で『日興跡条条事』真書の証明ではない
■検証45・日蓮正宗大石寺格蔵の「日興跡条条事・日興真筆」の真っ赤な大ウソ8 □日蓮正宗僧侶・高橋粛道氏の論説は「日興跡条条事」真書を言いたいが為の悪質なこじつけ 1281(弘安4)年12月に日目が日興の代理で上洛したとする園城寺申状なる文書は、全くの後世の ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(44)~日興が日目に授与した二つの本尊の脇書は日目が天奏をした証拠ではない
■検証44・日蓮正宗大石寺格蔵の「日興跡条条事・日興真筆」の真っ赤な大ウソ7 □日興が日目に授与した二つの本尊の脇書は日目が天奏をした証拠ではない ------------------------------------------------------------------- (日蓮正宗僧侶・高橋粛道氏の妄説) ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(42)~天皇・朝廷から見て「正式官僧ではない」日目の申状を天皇に伝奏するはずがない
■検証42・日蓮正宗大石寺格蔵の「日興跡条条事・日興真筆」の真っ赤な大ウソ5 □天皇・朝廷から見て「正式官僧ではない」日目の申状を天皇に伝奏するはずがない 日蓮正宗では、「1281(弘安4)年12月に日目上人が日興上人の代理で園城寺申状を時の天皇に奏上した」 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(41)~大石寺三祖日目は生涯42度の国家諫暁をしていない
■検証41・日蓮正宗大石寺格蔵の「日興跡条条事・日興真筆」の真っ赤な大ウソ4 □大石寺59世堀日亨が自ら「日目は生涯42度の国家諫暁をしていない」と否定している よく日蓮正宗や創価学会の信者が「日目上人は生涯で42回の国家諫暁をなされた」と言う。そしてこの ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(40)~日蓮から京都開教の附属を受けたのは日興でも日目でもなく龍華院日像である
■検証40・日蓮正宗大石寺格蔵の「日興跡条条事・日興真筆」の真っ赤な大ウソ3 □日蓮在世時代に天奏をした事実もなければ時の天皇から「御下文」を下賜された事実もない まずは大石寺59世堀日亨が「正本」と位置づけている「日興跡条条事」なる文書に絞ってみたい ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(39)~日蓮正宗が「正本」と称している内容が食い違っている二通の「日興跡条条事」
■検証39・日蓮正宗大石寺格蔵の「日興跡条条事・日興真筆」の真っ赤な大ウソ2 □毎年の霊宝虫払い大法会で披露されるのは大石寺正式見解の正本と称する「日興跡条条事」 「日興跡条条事」本文のポイントは □1日興が日目を一閻浮提の座主と定めていること □2 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(38)~日蓮正宗大石寺に格蔵する「日興跡条条事」が日興真筆というのは真っ赤なウソ
■検証38・日蓮正宗大石寺格蔵の「日興跡条条事・日興真筆」の真っ赤な大ウソ1 □「日興跡条条事」が大石寺9世日有の偽作である証拠は山のようにたくさんある 日蓮正宗の正式文献を紐解くと、あちらこちらに日蓮正宗大石寺には、二祖・日興の真筆の「日興跡条条事 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(23)~本当に日興が身延離山で重宝を持ち出していたら涅槃経を原殿に返すはずがない2
■検証23・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない16 □日興は身延離山のときに何も持ち出していないと認めている大石寺59世法主堀日亨 したがって、日蓮正宗や創価学会で言っている「日興上人は本門弘通の大導師であり、身延山久遠寺の別当で ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(22)~本当に日興が身延離山で重宝を持ち出していたら涅槃経を原殿に返すはずがない1
■検証22・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない15 □本当に日興が身延離山で重宝を持ち出していたら涅槃経を原殿に返すはずがない 日蓮正宗や創価学会では、「日興上人は本門弘通の大導師であり、身延山久遠寺の別当であったから、身延離山 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(21)~地頭が波木井実長以上の不法・謗法を行ったのに大石寺離山をしなかった大石寺5世日行
■検証21・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない14 □日蓮は弟子たちに「地頭の不法ならん時は我も住むまじき由」とは遺言していない 1366年(貞治5年)に、上野郷の地頭・興津法西が日伝に与えた書状—「興津法西より日伝への返付状」の内容は ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(20)~日蓮が弟子に遺した遺言は「いづくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」─である
■検証20・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない13 □「地頭の不法ならん時は我も住むまじき由」の「美作房御返事」は後世の偽作文書2 かつて洗脳法華講員の「やよい」なる者が、mixi「アンチ日蓮正宗」で、美作房御返事の「地頭の不法ならん ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(19)~「地頭の不法ならん時は我も住むまじき由」の「美作房御返事」は後世の偽作文書
■検証19・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない12 □「地頭の不法ならん時は我も住むまじき由」の「美作房御返事」は後世の偽作文書 身延離山や「百六箇抄」「二箇相承」「血脈相承」のことになると、必ずといっていいほど日蓮正宗や創価学 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(18)~日蓮・日興・六老僧・日蓮一門に「惣貫首」「貫首」思想はなかった
■検証18・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない11 □身延山久遠寺二祖貫首が決定したのは1288年(正応元年)「日蓮七回忌」の年である 史実を徹底検証していくならば、日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しておらず、「百六箇 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(17)~日蓮は滅後の導師・戒壇・授戒・ビジョンを弟子たちに何一つ明示しないまま入滅した
■検証17・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない10 □日蓮は滅後の導師・戒壇・授戒・ビジョンを弟子たちに何一つ明示しないまま入滅した 日蓮正宗や創価学会、顕正会等「日蓮正宗系」カルト教団の「唯授一人血脈相承」「二箇相承」の議論は ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(16)~仏教各宗派の本山法主・貫首・管長選出方法は高僧の合議・選挙・指名等、一定していない
■検証16・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない9 □仏教各宗派の本山法主・貫首・管長選出方法は高僧の合議・選挙・指名等、一定していない 日蓮正宗の「二箇相承」「血脈相承」論を聞いていると、 「日蓮大聖人は日興上人に相承しなかった ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(8)~本当に「血脈相承」があったら上野地頭が保田妙本寺日賢を「大石寺別当」と呼ぶはずがない
■検証8・大石寺9世日有以前の大石寺門流に「唯授一人の血脈相承」は存在しなかった4 □本当に「血脈相承」があったら上野地頭が保田妙本寺日賢を「大石寺別当」と呼ぶはずがない 蓮蔵坊七十年紛争の真っ只中の1366年(貞治5年)に、上野郷の地頭・興津法西が日郷 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(7)~本当に「唯授一人血脈相承」があったら「蓮蔵坊七十年紛争」はなかった
■検証7・大石寺9世日有以前の大石寺門流に「唯授一人の血脈相承」は存在しなかった3 □「血脈相承」ではなく今川家と鎌倉管領の介入により政治的に解決した「蓮蔵坊七十年紛争」 1333(正慶2)年から1403(応永10)年にいたる70年の長い間、大石寺4世日道の一門と、 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(6)~本当に「唯授一人血脈相承」があったら日仙と日代は大石寺上蓮坊で問答する必要がなかった
■検証6・大石寺9世日有以前の大石寺門流に「唯授一人の血脈相承」は存在しなかった2 □本当に「唯授一人血脈相承」があったら日仙と日代は大石寺上蓮坊で問答する必要がなかった 日蓮正宗大石寺開祖・日興、三祖・日目が死去した翌年の1334(元弘4)年1月7日、大 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(5)~もし日尊門流が大石寺を本山と仰いでいたら日印が西山開祖・日代に教示を仰ぐはずがない
■検証5・大石寺9世日有以前の大石寺門流に「唯授一人の血脈相承」は存在しなかった1 □「日尊実録」にある「一人」とは大石寺法主ではなく日尊から相承を受けた「付弟」のことだ ------------------------------------------------------------------ (日蓮正 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(4)~日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない
■検証4・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない □血脈相承を受けて日興が身延山久遠寺二祖に晋山したら弟子・信者の誰も知らないはずがない だいたい弘安5年(1282年)10月当時において、日蓮が末代の衆生のために、『二箇相承』『百六箇抄』 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(3)~本当に「唯授一人血脈相承」があったら日興の「身延離山」はなかった2
■検証3・「本門弘通の大導師」でも「身延山久遠寺の別当」でもなかった大石寺二祖日興2 □日興が本当に身延山久遠寺別当ならば「身延離山」しなければならないのは日向のほうだった 日興の「身延離山」には、もうひとつ、大きな矛盾点が存在している。 第二の ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(2)~本当に「唯授一人血脈相承」があったら日興の「身延離山」はなかった1
■検証2・「本門弘通の大導師」でも「身延山久遠寺の別当」でもなかった大石寺二祖日興1 □日興が「唯授一人血脈相承」を佐渡阿闍梨日向と南部実長に示せば「身延離山」はなかった 日蓮から日興に対して、本当に「唯授一人血脈相承」なるものが為されていたら、 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(1)~「唯授一人血脈相承」がなかったが故に身延離山・日仙日代問答・日道日郷紛争があった
■検証1・大石寺9世日有以前の大石寺門流に「唯授一人の血脈相承」は存在しない1(歴史的会通) □「唯授一人血脈相承」がなかったが故に身延離山・日仙日代問答・日道日郷紛争があった 日蓮正宗では盛んに「大石寺の住持には日有上人以前から、大聖人の正統な後継 ...