アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ

正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」。創価学会や顕正会は勿論の事、その本家本元の日蓮正宗自体も「目くそ鼻くそを笑う」的なものだ。創価学会、SGIや冨士大石寺顕正会、正信会、その他の分派団体……これらの親元・生みの親・育ての親・本家本元は、日蓮正宗です。 伝統仏教の仮面をかぶり、国際人権規約(条約)違反の人権侵害を行い、信教の自由から逸脱した専横活動を行い、一般国民の信教の自由を踏みにじる弾圧を行うカルト宗教を規制する新立法・新条約制定を目指します。日蓮正宗、創価学会、顕正会をカルト宗教に指定して司法監視せよ。反日蓮正宗系活動はカルト宗教の専横・独裁・専政・弾圧に抵抗する現代の自由民権運動である。 (「日蓮七百遠忌大法会」終了後、記念撮影する大石寺67世阿部日顕ら日蓮正宗首脳僧侶と池田大作ら創価学会首脳・昭和56(1981)年10月17日付け聖教新聞)

百貫坊日仙は「戒壇大本尊」を背負って身延離山していない

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戒壇大本尊は後世の偽作だ(171)~日興は身延離山のときに、身延山久遠寺から何も持ち出していない2

■検証171・日興は身延離山のときに、身延山久遠寺から何も持ち出していない2

 

□日興は身延離山のときに何も持ち出していないと認めている大石寺59世法主堀日亨

 

日蓮正宗大石寺59世法主であった堀日亨自身が、「日興は身延離山のときに、身延山久遠寺から何も持ち出していない」と断言しているのである。

堀日亨は、自らの著書「富士日興上人詳伝」において、次のようなことを書いている。

 

「すでに原殿抄(原殿御返事のこと)の末文にあるごとく、延山(身延山久遠寺のこと)の常住物は何一つ持ち出していない。涅槃経の中の二巻を御使用のまま持ち出されたので、十二月十六日に返還せられてあるくらいで、したがって日尊実録の中にも『身延沢御退出の刻、公方、聖教、世事雑具等、皆悉く御墓所に之を置くべきの由、衆徒に触れられし時、面々供奉の人々、一紙半銭も持ち出ることなし』と書いておる。とうぜんのことである」(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書「富士日興上人詳伝」p280281より)

59世日亨2

 

つまり、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨は、「日興は身延離山のときに、身延山久遠寺から何も持ち出していない」と、自ら断言しているのである。

そして「日尊実録」の文の意味も、まさにこの意味であり、とうぜんのことである、とまで言い切っているのである。

にもかかわらず、日蓮正宗や創価学会は、信者に「日興は身延離山の時に、すべての重宝を持ち出した」と教えている。そういうことにでもしないと、日興が日蓮の遺骨やら「本門戒壇の大御本尊」なる名前の板本尊を持ち出したことの説明ができなくなってしまう。

しかし、堀日亨が言うように、「日興は身延離山のときに、身延山久遠寺から何も持ち出していない」ということになると、大石寺にある「本門戒壇の大御本尊」なる名前の板本尊も、日蓮の遺骨も、御肉牙も、最初仏も、なにもかもニセモノということになる。

 

よって、「原殿御返事」という手紙は、堀日亨はよほど都合の悪い文書だと思ったのか、堀日亨が自ら編纂した「富士宗学要集」には収録せず、後に「富士日興上人詳伝」の中で、こっそり載せている。

 

したがって、日蓮正宗や創価学会で言っている

「日興上人は本門弘通の大導師であり、身延山久遠寺の別当であったから、身延離山のときに『本門戒壇の大御本尊』『日蓮真骨』『御肉牙』『最初仏』などのすべての重宝を身延山久遠寺から持ち出した」

「身延山久遠寺の別当だったからこそ『本門戒壇の大御本尊』や『日蓮真骨』をひとつも残らず、持ち出すことができた」

などという話しは、全くのウソである。

日蓮正宗や創価学会が、日興が身延離山のときに身延山久遠寺から持ち出したなどと称している、大石寺にある「本門戒壇の大御本尊」なる名前の板本尊も、日蓮の遺骨も、御肉牙も、最初仏も、全てがニセモノということである。

 

 

戒壇大本尊は後世の偽作だ(170)~日興は身延離山のときに、身延山久遠寺から何も持ち出していない1

■検証170・日興は身延離山のときに、身延山久遠寺から何も持ち出していない1

 

日蓮正宗や創価学会では、「日興上人は本門弘通の大導師であり、身延山久遠寺の別当であったから、身延離山のときに『本門戒壇の大御本尊』『日蓮真骨』『御肉牙』『最初仏』などのすべての重宝を身延山久遠寺から持ち出した」「身延山久遠寺の別当だったからこそ『本門戒壇の大御本尊』や『日蓮真骨』をひとつも残らず、持ち出すことができた」と教えている。

しかし本当に、そうなのだろうか?

実は、日興は身延離山のときに、身延山久遠寺から何も持ち出していないのである。

こんな日興真筆の文書が残っている。それは「原殿御返事」という書物の追伸なのだが、日付は1288(正応元年)1216日になっているから、身延離山直後の手紙である。

 

「追って申し候、涅槃経第三、第九、二巻、 御所にて談じて候ひしを、愚書に取具して持ち来て候、聖人の御経にて渡らせ給い候間、慥かに送り進せ候」(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書「富士日興上人詳伝」241242ページに収録)

---追伸です。涅槃経の第三と第九の二巻を、御所であれこれ話している間に、自分の愚書の中に、まちがって持ってきてしまいました。日蓮のお経ですので、ただちに送り返し申し上げます。---

 

原殿という人は、波木井実長の一族の人で、身延山久遠寺周辺に住んでいたと言われている人である。日興はこの原殿に宛てた手紙の中で、「間違って持ってきてしまった」「日蓮のお経だから」という理由で、涅槃経を二巻、波木井実長の一族である原殿に「返す」と言っているのである。

もし日興が日蓮から相承された本門弘通の大導師であり、身延山久遠寺の別当ならば、「日蓮のお経」を原殿に返す必要は全くない。

あるいは、日蓮正宗や創価学会が言うように、日興が身延離山のときに、身延山久遠寺から「すべての重宝」を持ち出したというならば、たかが涅槃経ぐらいのことで、日興が原殿に日蓮の涅槃経二巻を「返す」という手紙を書くはずがない。

2祖日興1

 

日興は身延離山のときに、身延山久遠寺から何も持ち出していない。

このことは、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨自身が、自らの著書の中で明確に認めていることなのである。

 

これはどういうことか。もっと具体的に言うと、日蓮正宗が「日興上人が身延離山の時に身延山から大石寺に移した」と自称している「戒壇の大本尊」をはじめ、「最初仏」「日蓮の真骨」「日蓮の御肉牙」といった霊宝、「二箇相承」「百六箇抄」「本因妙抄」「御本尊七箇相承」といった相伝書といったものが、ことごとく後世の偽作である、ということになるのである。

 

 

戒壇大本尊は後世の偽作だ(169)~日仙は「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊を背負って身延離山していない2

■検証169・日仙は「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊を背負って身延離山していない2

 

実際に1972(昭和47)10月や1998(平成10)4月に行われた「本門戒壇の大御本尊」遷座の写真を見ると、「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊を蓮台に乗せて、十人前後の僧侶が蓮台を担いでいる様子が見て取れる。そうしないと、総重量200280キロもあると言われる「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊は、日仙一人では、とても重たくて運べないだろう。

 

これらのことから、1289(正応2)年春の身延離山の時に、日興の弟子の日仙は、「本門戒壇の大御本尊」なる名前の板本尊を一人で背負って担ぎ上げ、身延山久遠寺から山道を下って富士・上野の南条時光の館まで運ぶなどということは、していないと結論付けられる。したがって、大村寿道氏が描いた「身延離山の絵」の内容も真っ赤なウソである。

2祖日興3・身延離山1


日蓮正宗大石寺66世細井日達法主は「悪書板本尊偽作論を粉砕す」の中で

「御板御本尊を百貫坊(日仙)に背負わせて粛々と身延の山を御去りになった有様が如実に拝される」

などと、あたかも七百年前の身延離山のようすを見ていたかのようなことを言っているが、こんな百キロ以上、二百キロにもなんなんとする板本尊を、たとえ日興の弟子の日仙が、どんなに力持ちであったとしても、一人で背負って身延離山するなど、絶対に不可能だ。

 

1984(昭和59)年、大石寺が発行した小冊子「大石寺案内」の中の「下の坊」のところの「かなと蔓」の説明文には、こう書いてある。

 

「日興上人が身延離山されるとき、百貫坊日仙が本門戒壇の大御本尊を背負うために用いた蔓が根付いたものと伝えられている。かたわらには、総本山五十八世日柱上人が、そのいわれを書いた碑が建てられている」

 

細井日達法主の説は、日蓮正宗大石寺58世土屋日柱法主の説を踏襲したもののようだが、いずれにしろ「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊は百貫坊日仙が一人で背負えるほどの重量ではなかったことだけは事実だ。

日蓮正宗の法主の説法は、このように事実に反する「虚偽」が実に多いのである。

 

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戒壇大本尊は後世の偽作だ(168)~日仙は「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊を背負って身延離山していない1

■検証168・日仙は「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊を背負って身延離山していない1

 

日蓮正宗では、1289(正応2)年春、日興が身延離山した時、日興の弟子の日仙が「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊を一人で背負って担ぎ上げ、身延山久遠寺から山道を下って富士・上野の南条時光の館まで運んだと教えている。日蓮正宗大石寺が発行した「大石寺案内」という小冊子の「下之坊」によると、こんなことが書いてある。

 

「かなと蔓

日興上人が身延離山されるとき、百貫坊日仙が本門戒壇の大御本尊を背負うために用いた蔓が根付いたものと伝えられている。かたわらには総本山58世日柱上人が、そのいわれを書いた碑が建てられている」(『大石寺案内』p44)

かなと蔓

 

つまり日蓮正宗大石寺の近所にある下之坊という日蓮正宗寺院には、日仙が身延離山の時に「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊を背負ったときに使った蔓が根付いた「かなと蔓」(かなとづる)なるものがあるのだという。

しかも日蓮正宗大石寺では、大村寿道という名の日蓮正宗僧侶(大村日統教学部長の父親)に、日仙が「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊を担いで身延離山している絵まで描かせている。

 

日蓮正宗大石寺48世法主日量が著した書物「富士大石寺明細誌」に、大石寺が格蔵している「本門戒壇の大御本尊」なる名前の板本尊のサイズが書いてある。それによると

「厚さ二寸二分、竪四尺七寸五分、横二尺一寸五分なり」(『富士宗学要集』5p334)

となっている。

竪四尺七寸五分とは約143センチ、横二尺一寸五分とは約65センチである。日量は「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊の厚みを「二寸二分」と書いているが、しかし日蓮正宗大石寺66世法主細井日達は、この巨大な板本尊の形状について

 

「戒壇の御本尊様は楠の厚木です。表から見るとこういう板です。ところが此れは大変な板です。ただの板ではないのです。こういう板になっているのです。だから後ろから見ると丸木です。丸木を表だけ削ってあるわけです。大変なものです。重たい。上はただ三寸そこそこの板ですけれど、まわりは丸木です。まん丸い木です。その丸い木を、前を削って板にしたにすぎません・・・」(昭和52年5月26日の大石寺大講堂・寺族同心会の指南)

 

と言っており、これによると「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊は、完全な板ではなく、丸木を表だけ削って、前の表面だけ板にした、いわば半丸太・半丸木の本尊だというのである。

 

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