■非常識な長時間の唱題で膨大な時間と労力の無駄遣い・浪費をしている創価学会員

 

私も長い間、T大学学生部・矢田敏夫(仮名)らの「だまし討ち」折伏、福寿荘(仮名)に住む創価学会員らの強引・執拗で非常識な折伏・入信勧誘。創価学会員たちの非常識な振る舞いによる数々の被害に遭い、ほとほと創価学会員そのものに、懲りていた。

懲りてはいたが、今後、日蓮正宗や創価学会を批判していく上において、「もう懲りた」だけでは批判にならない。まがりなりにも「戦」(いくさ)をするのであれば、敵を徹底的に研究し尽くし、敵を完全に丸裸にするまで、知り尽くさなければならない。

創価学会の座談会や○○総会だの△△大会だのという所に出ただけでは、それは研究にならない。なぜならば、それは創価学会にとって都合のいい話しだけを聞かせ、創価学会にとって都合のいい映像だけを見せ、創価学会にとって都合のいい新聞・本だけを読ませようとするものだからである。

創価学会の座談会や○○総会だの△△大会だのというものは、創価学会員が普段何を考え、何をしているのか。何をしようとしているのか、を伝えるものではない。

そういう意味では、福寿荘(仮名)の有様や溝口工務店(仮名)での有様のほうが、よほど創価学会員の真の姿であると言うことが出来るが、それでも、それらだけが、創価学会員の真の姿と言うには、言い過ぎだと言える。

創価学会員が普段何を考え、何をしているのか。何をしようとしているのか。と言っても、彼らの生活に24時間つきっきりになるわけにはいかない。福寿荘(仮名)では、他の入居者が全員、創価学会員であったため、彼らの生活を垣間見ることができたが、しかし彼らは全員、大学生である。

一般の創価学会員はどうなのか。溝口工務店(仮名)では、隣接していた個人会館で、創価学会の会合を側面から見ることが出来たが、創価学会の会館は、部外者が自由に出入り出来るところではない。創価学会員は、自分たちの都合のいい話を聞かせる時は、やれ会館に来いだのと言うのに、普段は創価学会の会館は、堅く門が閉ざす閉鎖的な空間である。

そこで私が足を運んだのが、日蓮正宗の寺院。宗創和合路線時代だった昭和5060年代のころ、東京近郊の日蓮正宗寺院には、大勢の創価学会員が参詣していた。

日蓮正宗に限らず仏教寺院という所は、開門時間内であれば、誰でも本堂に入ることができる。別にその宗派の信者であるなしは全く関係ない。

私が最初に足を運んだ寺院は、東京・池袋の常在寺である。

日蓮正宗常在寺という寺院は、池袋駅東口から徒歩56分くらいのところにある南池袋公園のすぐ近くにある日蓮正宗の寺院で、正式には霊鷲山常在寺という。

私は学生のころから、少しづつではあったが、日蓮正宗や創価学会の研究をはじめ、次第に知識を得ていた。そういった中、日蓮正宗寺院が信者であるなしに関わらず、誰でも日蓮正宗寺院の本堂の中に入れることを知り、寺跡調査をはじめた。これが私にとっての、日蓮正宗寺院の寺跡調査のとっかかりである。

常在寺1 

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