アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ

正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」。創価学会や顕正会は勿論の事、その本家本元の日蓮正宗自体も「目くそ鼻くそを笑う」的なものだ。創価学会、SGIや冨士大石寺顕正会、正信会、その他の分派団体……これらの親元・生みの親・育ての親・本家本元は、日蓮正宗です。 伝統仏教の仮面をかぶり、国際人権規約(条約)違反の人権侵害を行い、信教の自由から逸脱した専横活動を行い、一般国民の信教の自由を踏みにじる弾圧を行うカルト宗教を規制する新立法・新条約制定を目指します。日蓮正宗、創価学会、顕正会をカルト宗教に指定して司法監視せよ。反日蓮正宗系活動はカルト宗教の専横・独裁・専政・弾圧に抵抗する現代の自由民権運動である。 (「日蓮七百遠忌大法会」終了後、記念撮影する大石寺67世阿部日顕ら日蓮正宗首脳僧侶と池田大作ら創価学会首脳・昭和56(1981)年10月17日付け聖教新聞)

『百六箇抄』が日蓮真筆・日興真蹟ではない証拠

□正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」です
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/29372252.html
□反日蓮正宗・反創価学会・反顕正会・反正信会路線の「アンチ日蓮正宗」
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_695541.html
「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。富士門流執着軍団批判は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄だが、「日蓮正宗系」以外の富士門流寺院の調査・研究は「仏教宗学研究会のブログ」の管轄。「仏教宗学研究会」への誹謗中傷に対する反撃・糾弾は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」から、カルト宗教対策、カルト宗教取締特別立法、カルト宗教拡散防止条約制定の活動部分を独立させたものが「国際カルト宗教対策委員会(Icat-Cult)」
□「アンチ日蓮正宗」「Icat-Cult」「仏教宗学研究会」は表裏一体の同体」
http://international-committee-against-cult.doorblog.jp/archives/1655529.html
□「国際カルト宗教対策委員会・公式ブログ」
http://international-committee-against-cult.doorblog.jp/
□「アンチ日蓮正宗」の5番目の批判ターゲットに「富士門流執着軍団」を指定
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/38818720.html
□「アンチ日蓮正宗」の基本方針・基本政策・メインテーマ
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1081721.html

□日蓮正宗とは伝統仏教の仮面をかぶるカルト・宗教詐欺集団である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1155403.html
□創価学会は伝統仏教の仮面をかぶるカルト・謀略政治団体である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_622031.html
□冨士大石寺顕正会とは伝統仏教の仮面を被るカルト・暴力集団である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_496386.html
□妙観講とは伝統仏教の仮面をかぶるカルト・謀略集団である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_690733.html
□日蓮正宗正信会とは日蓮正宗の仮面をかぶる創価学会の分派である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_496387.html
□「富士門流執着軍団」とは伝統仏教の仮面を被る謀略軍団である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1055717.html
□日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会は同じ穴の狢・同罪である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_174276.html
□日蓮正宗管長・代表役員・大石寺法主への離檀宣告書の書式
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/30268020.html
□日蓮正宗からの離檀1(離檀届)
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17606850.html
□創価学会からの脱会1(脱会届)
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17607967.html
□冨士大石寺顕正会からの脱会1(脱会届)
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17611881.html
□正信会からの脱会1(離檀届)
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17613697.html
□日蓮正宗批判・創価学会批判・顕正会批判は他のカルト宗教批判と構造が異なる
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/33730660.html
□「アンチ日蓮正宗」は永世中立・非同盟・不偏不党・自主独立機関
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_689583.html
□アンチ日蓮正宗・コミュ・ブログ・管理人
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_613423.html
□「アンチ日蓮正宗」の主宰者・管理人は無宗教である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/9893862.html
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/9911806.html
□「アンチ日蓮正宗」はいかなる団体・宗派も支持しない・連合しない
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/10655360.html
□「アンチ日蓮正宗」は単なる数合わせの政治的野合・連合体をめざさない
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/35069469.html
□「『アンチ日蓮正宗』の内容は正確で、問題の本質をとらえている」と日蓮正宗の現役信者・元信者が認めている
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/12617039.html
□「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」管理人の自叙伝
「実録・となりの創価学会員・法華講員」
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_610577.html
<注意事項>
□「アンチ日蓮正宗」の全ての記事・写真等の無断転載、無断使用、無断複製、無断模倣は厳禁です
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17463344.html
□「「3ブログ」は言論の自由・表現の自由のサイトであり名誉毀損・誹謗中傷・業務妨害サイトではない」
http://bukkyoshugakukenkyukai.doorblog.jp/archives/49127458.html
□「ニセhide」「ニセアンチ日蓮正宗」の謀略にご注意下さい
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1186234.html
□英昭彦以外の者が他のインターネットサイト・SNS・他の著作物等で「アンチ日蓮正宗」管理人「hide」を名乗ることを厳禁する

□日蓮正宗系カルト対策とオウム・統一教会・幸福の科学等のカルト対策は別個である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/30040491.html
□「日蓮正宗系」離檀・離宗・脱会確認後、最低5年間は『様子見期間』とさせていただいています
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/43144396.html

<協力要請>

□「日蓮正宗系」カルトを離檀・離宗・脱会された方々へ情報提供・内部告発の協力要請
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/43712967.html
<ご相談>
□御相談は全て管理人の電話にて受け付けていますので電話をお願いします
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/42053605.html
□管理人の連絡先
(mobile)
080-6553-2774
anti-nichirenshoshu@ezweb.ne.jp
(telephone)
03-6325-6401
(FAX)
03-6325-7926
(PC)
anti_nichirenshoshu@jcom.zaq.ne.jp
(管理人名)英昭彦(hide_akihiko)

百六箇抄は9世日有の偽作だ(62)~百六箇抄に説かれている男尊女卑思想は日蓮の教説の中に存在しない

■検証62・百六箇抄が日蓮真筆・日興真蹟ではない無関係の偽書である証拠7

 

□百六箇抄に説かれている男尊女卑思想は日蓮の教説の中に存在しない

 

「百六箇抄」には、驚くべき男尊女卑思想が説かれているのをご存知だろうか。その「百六箇抄」に説かれている男尊女卑思想の文とは、この文である。

「四、久遠自受用報身の本迹 男は本、女は迹、知り難き勝劣なり。能く能く伝流口決すべき者なり」(平成新編御書全集p1694/大石寺59世堀日亨編纂「富士宗学要集」1p15)

この文中「男は本、女は迹」とあるが、これはどこをどう見ても男尊女卑思想と見る以外にあるまい。こんな男尊女卑思想は、日蓮の遺文(御書)を紐解いても、どこにも説かれていない。これもまた「百六箇抄」が日蓮の教説ではなく、偽書であることを証する証拠の一つである。

「百六箇抄」に説かれる、こんな極端な封建的男尊女卑社会の中で女性が冷遇されているのが、日蓮正宗、創価学会、顕正会、正信会の「日蓮正宗系」団体である。創価学会は信者に対して、「男は外で仕事。女は家庭に入る」という、極めて古くさい封建的な生き方を押しつけていること。独身信者に対して、創価学会員同士の自由恋愛を認めていないこと。さらに会長、理事長、副理事長、副会長といった最高幹部は全員が男性。組織単位に見ても、男性総県長と総県婦人部長、男性県長と県婦人部長、男性総区長と総区婦人部長、男性区長と区婦人部長という組み合わせになっている。女性総県長と総県壮年部長、女性総区長と総区壮年部長といった組み合わせは皆無である。創価学会における女性の最高役職は全国総合婦人部長である。創価学会の主戦力は、婦人部である現実からして、女性理事長、女性副理事長、女性副会長、女性総県長、女性総区長がいても、おかしくないと思われるが、現に存在しないのは、創価学会が、封建的男尊女卑、男性優位の団体だからではないか。主戦力の女性を「婦人部」「女性部」に押し込めてしまおうとする体質は日蓮正宗も創価学会も顕正会も正信会も同じである。

日蓮正宗では、僧侶は全員男性。昔は日蓮正宗にも尼僧がいたが、今は廃止していて、女性が出家得度して僧侶になる道すら閉ざされている。女性は寺族止まり。信徒は、総講頭、大講頭、大石寺総代は全員男性。末寺の総代、法華講支部の法主認証役員である講頭・副講頭・幹事・会計もほとんど男性で、ごく一部に女性がいるが、女性総代、女性講頭・副講頭は認めない住職が大半。露骨に公衆の面前で「女の総代、講頭、副講頭はダメだ」と公言する住職までいる。「女」という言葉を使うなど、部外者が聞いてびっくりするほどの封建的男尊女卑体質である。

それから日蓮正宗では、住職・修行僧らの食事・賄いの面倒を全て寺族に押しつけている。こういうことは日蓮正宗宗門だけでなく、正信会も同じ。禅宗では、自分で精進料理を造ることも修行であると教えていて、禅宗の僧侶は、自分で自分の食事を作って食べる。

顕正会は、会長、理事長は浅井家の世襲で、男尊女卑よりももっとひどい封建的体質である。

 

続きを読む

百六箇抄は9世日有の偽作だ(27)~日蓮は戒壇建立の地、戒壇の寺号を具体的に文献には残さなかった

■検証27・百六箇抄が偽書である証拠・「本門寺」思想の大ウソ2

 

日蓮は戒壇建立の地、戒壇の寺号を具体的に文献には残さなかった

 

「百六箇抄」には「本門寺」思想について、次のようにある。

「四十三、下種の弘通戒壇実勝の本迹、 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり……

又五人並に已外の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外万国に之を流布せしむと雖も、日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり。 」

この中に「富士山本門寺の本堂を建立」という、いわゆる「本門寺思想」が登場する。「百六箇抄」に登場する「本門寺戒壇建立思想」は、日蓮は全く説いておらず、矛盾に満ちている。

「百六箇抄」の文中「四十二、下種の弘通戒壇実勝の本迹」の条文に登場する

「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり」(御書全集p1699)

という文の「富士山本門寺の本堂」とは、「二箇相承」の「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり」の「富士山本門寺戒壇」と全く同義である。「百六箇抄」にはつづけて

「直授結要付属は一人なり。 白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為して、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず、悉く付属せしめ畢ぬ。 上首已下並に末弟等異論無く、尽未来際に至るまで予が存日の如く、日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり」「五人並に已外の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外万国に之を流布せしむと雖も、日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり。」(大石寺59世堀日亨編纂「富士宗学要集」1p21)

とあるので、「二箇相承」の「富士山本門寺の戒壇」、「百六箇抄」の「富士山本門寺の本堂」とは、「日興嫡嫡相承の曼荼羅」つまり大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊を祀る「本堂」であり「戒壇」であるということになる。そうすると大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊が日蓮真造ではなく、後世の偽作本尊だということになれば、自動的に「二箇相承」も「百六箇抄」も「日興跡条条事」も偽書ということになる。では日蓮は「戒壇」建立について、何と説いているのか。日蓮は「戒壇」建立の地については1282(弘安5)48日の遺文(御書)「三大秘法抄」に次のようにある。

「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」(御書全集p1595)

日蓮は「三大秘法抄」の中で「戒壇」建立の地については「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて」と言っただけで、具体的な地名には触れなかった。又、その「戒壇」の名称についても、具体的には触れておらず、寺号が「本門寺」になるかどうかも決まっていなかった。

 

続きを読む

百六箇抄は9世日有の偽作だ(26)~日蓮は三十年の弘教で「本門寺」思想を全く説いていない

■検証26・百六箇抄が偽書である証拠・「本門寺」思想の大ウソ1

 

□「日蓮門下寺院は法華本門の寺」の意義から付けられた池上「本門寺」寺号

 

「百六箇抄」には「本門寺」思想について、次のようにある。

「四十三、下種の弘通戒壇実勝の本迹、 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり……

又五人並に已外の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外万国に之を流布せしむと雖も、日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり。 」

この中に「富士山本門寺の本堂を建立」という、いわゆる「本門寺思想」が登場する。日蓮は三十年の弘教の中で本当に「本門寺思想」を説いたのか、という問題である。

現在、本門寺の寺号を名乗る寺院としては、北山本門寺、西山本門寺、讃岐本門寺と池上本門寺。北山本門寺の場合は、「法華本門寺根源」とか「富士山本門寺根源」と呼んでいる。

西山本門寺は「富士山西山本門寺」とか「富士山本門寺根源」を自称している。これは、「二箇相承」(偽書)にある「富士山本門寺」の寺号を名乗っていると考えられる。

讃岐本門寺は、正式には高永山本門寺というが、江戸時代から戦前にかけて、北山本門寺の末寺だったときは、法華寺を名乗っていた。日蓮正宗大石寺も、将来的には「本門寺」の寺号を名乗るとしている。そうすると、大石寺を含めても本門寺の寺号を名乗るのは、池上本門寺のみが日朗門流で、他は全て日興門流(冨士門流)ということになる。日興門流には、古くから本門寺思想というものがあり、日蓮曼荼羅に「本門寺の重宝たるべきなり」との日興の加筆が散見される。

その他の本門寺思想からみの文献としては、二箇相承、日順文書等があるが、二箇相承は後世の偽作であり、日順文書についても大石寺59世法主・堀日亨が疑義を呈している。そうすると日朗門流の池上本門寺の「本門寺」寺号は、どうして付けられたのか。いつから「本門寺」寺号を名乗っているのか。この点、池上本門寺の公式ウエブサイトを見ても、

「長栄山本門寺という名前の由来は、『法華経の道場として長く栄えるように』という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたものです。そして大檀越の池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれましたので、以来『池上本門寺』と呼びならわされています」

として、本門寺の寺号は日蓮が命名した、とは書いてある。そこで、池上本門寺の「本門寺」寺号がどういう経緯で付けられたのか、という点について、池上本門寺を訪ねて池上本門寺の僧侶に質問したところ、下記のような見解であった。

僧「本門寺の寺号については、池上本門寺の寺伝によれば、お祖師様(日蓮)が命名された、ということになっています。しかし、お祖師様のご遺文の中には、本門寺の寺号について書かれているものはひとつもありません。ただし、古文書を紐解いていくと「本門寺 日朗」と書いた文献が存在しているので、日朗聖人在世のころには、すでに本門寺の寺号はあったと考えられます」

 

続きを読む

百六箇抄は9世日有の偽作だ(25)~本当に「百六箇抄」があったら上野地頭が保田妙本寺日賢を「大石寺別当」と呼ぶはずがない

■検証25・百六箇抄が偽書である証拠・日蓮日興相承の大ウソ19

 

□本当に「百六箇抄」があったら上野地頭が保田妙本寺日賢を「大石寺別当」と呼ぶはずがない

 

蓮蔵坊七十年紛争の真っ只中の1366(貞治5)に、上野郷の地頭・興津法西が日郷一門の法主・日伝に与えた書状—「興津法西より日伝への返付状」の内容は、注目に値する。

「興津法西より日伝への返付状」

「駿河国富士上方上野郷大石寺御堂坊地

先例に任せ地頭時綱寄進状、並に師匠日郷置文以下証文などにより、宮内郷阿闍梨日行の競望を止め、元の如く中納言阿闍梨日賢に返付申し候了んぬ。

仍て先例を守り勤行せらるべきの状件の如し。

貞治五年九月十七日 沙弥法西 判

大石寺別当中納言阿闍梨の所」

(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』9p39)

 

中納言阿闍梨日賢というのは、日郷一門(保田妙本寺・小泉久遠寺の一門)の保田妙本寺貫首・日伝の改名前の名前である。この文書の中で、上野郷の地頭・興津法西が日伝のことを「大石寺別当」と呼んでいることは、まことに注目すべきことである。 日蓮正宗が発行している「日蓮正宗・富士年表」によれば、当時の大石寺法主(別当)は、日伝ではなく、大石寺5世の宮内卿阿闍梨日行になっている。日行から日伝に大石寺法主が代替したとは書いていない。日伝は、大石寺の歴代法主の中に名前はない。日伝とは、当時、大石寺と対立・紛争をしていた日郷一門の小泉久遠寺・保田妙本寺5代貫首であって、歴代大石寺法主の中に名前はない。

しかし、この当時の文献では、大石寺のある上野郷の地頭・興津法西は、大石寺5世日行ではなく、日郷一門の保田妙本寺貫首・日伝を「大石寺別当」と呼んでいるのである。ということは、この当時、日蓮正宗が「法主」と認めていない人物が、「大石寺別当」(法主)職にあったということになる。つまりこれは、平たく言えば、当時の大石寺は、日郷一門の法主・日伝らによって占拠されていたということに他ならない。

蓮蔵坊七十年紛争は、日郷一門が蓮蔵坊を占拠したり、日道一門が占拠したり、そうかと思うと、日郷一門が大石寺の境内地の中に東御堂を建てて、日道一門に対抗したり、両者による壮絶な紛争になっていた。

蓮蔵坊は、1338(建武5)年、上野郷の地頭・南条時綱が日郷に寄進状を発行して日郷一門に帰したが、それでも日道一門と日郷一門の紛争は止まず、南条時綱の子・時長が地頭になって後、再び時長が日郷一門に証状を出した。

 

続きを読む

百六箇抄は9世日有の偽作だ(24)~本当に「百六箇抄」があったら「蓮蔵坊七十年紛争」はなかった

■検証24・百六箇抄が偽書である証拠・日蓮日興相承の大ウソ18

 

□「百六箇抄」ではなく今川家と鎌倉管領の介入により政治的に解決した「蓮蔵坊七十年紛争」

 

1333(正慶2)年から1403(応永10)年にいたる70年の長い間、日蓮正宗大石寺4世法主日道の一門と、保田妙本寺・小泉久遠寺の開祖・日郷の一門の間で、大石寺塔中にある蓮蔵坊の帰属を巡って、紛争が起こった。1333(正慶2)年とは、日蓮正宗大石寺3祖日目が美濃国(岐阜県)垂井で死去して随行の僧侶・日郷が大石寺に帰ってからのこと。

この蓮蔵坊七十年紛争は、日郷一門が蓮蔵坊を占拠したり、日道一門が占拠したり、そうかと思うと、日郷一門が大石寺の境内地の中に東御堂を建てて、日道一門に対抗したり、両者による壮絶な紛争になっていた。

蓮蔵坊は、1338(建武5)年、上野郷の地頭・南条時綱が日郷に寄進状を発行して日郷一門に帰したが、それでも日道一門と日郷一門の紛争は止まず、南条時綱の子・時長が地頭になって後、再び時長が日郷一門に証状を出した。

時長証状により蓮蔵坊を安堵(土地所有を公認されること)された日郷は、1345(康永4)年、上洛して京都守護職の案内を得て、念願の天奏を果たし、1353(正平8)年、61歳で死去した。

日郷門流の本山・保田妙本寺の開祖・日郷の後継貫首は、南条時綱の子・日伝である。日伝は幼名を牛王丸、出家して日賢と名乗り、後に日伝と改名した。

大石寺は1339(延元4)6月、大石寺4世日道から大石寺5世日行に代替わりした。

保田妙本寺開祖・日郷は1340(興国1)年、1344(興国5)年、1347(正平2)年、度々、京都に上洛して京都・鳥辺山に葬られた日目墓所の地を買い求めている。1365(正平20)年、日郷の後継貫首・日伝(日賢)が、日郷と同じように京都・鳥辺山の日目墓所の地を買い求めている。

1359(正平14)年、日郷一門の日叡が中心になって大石寺に東御堂を建てた。

1363(正平18)年、日郷一門を支えてきた上野郷の地頭・南条時長が死去し、上野郷の地頭は、河東の代官・興津法西が兼務するようになった。

1365(正平20)年、かつての日興の坊舎であった白蓮坊(西大坊)を修復して住んでいた大石寺4世日道の後継法主・大石寺5世日行が、日郷一門の後継法主・日伝が安房国(千葉県)にいることを幸いに、地頭・興津法西に取り入り、日郷一門の僧侶たちは、蓮蔵坊から追放されて、大石寺5世日行一門が占拠するところとなった。 この事態に驚いた日郷一門の貫首・日伝は、駿河国の領主・今川家に訴えた。

今川家は、さっそく真偽のほどを正せと興津法西に厳命。これに驚いた興津法西が厳密に調査したところ、日伝側には確かに南条時綱、南条時長の寄進状や日郷の置き文などの証状があるが、大石寺5世日行側には何の証状もない。

 

続きを読む
メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
最新記事(画像付)
最新コメント
livedoor プロフィール
カテゴリ別アーカイブ
  • ライブドアブログ