■検証19・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない12 □「地頭の不法ならん時は我も住むまじき由」の「美作房御返事」は後世の偽作文書 身延離山や「百六箇抄」「二箇相承」「血脈相承」のことになると、必ずといっていいほど日蓮正宗や創価学 ...
カテゴリ:大石寺9世日有偽作の証拠・「唯授一人血脈相承」の大ウソ・謀り > 大石寺法主「唯授一人血脈相承」大石寺9世日有偽作論
血脈相承は9世日有の偽作だ(18)~日蓮・日興・六老僧・日蓮一門に「惣貫首」「貫首」思想はなかった
■検証18・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない11 □身延山久遠寺二祖貫首が決定したのは1288年(正応元年)「日蓮七回忌」の年である 史実を徹底検証していくならば、日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しておらず、「百六箇 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(17)~日蓮は滅後の導師・戒壇・授戒・ビジョンを弟子たちに何一つ明示しないまま入滅した
■検証17・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない10 □日蓮は滅後の導師・戒壇・授戒・ビジョンを弟子たちに何一つ明示しないまま入滅した 日蓮正宗や創価学会、顕正会等「日蓮正宗系」カルト教団の「唯授一人血脈相承」「二箇相承」の議論は ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(16)~仏教各宗派の本山法主・貫首・管長選出方法は高僧の合議・選挙・指名等、一定していない
■検証16・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない9 □仏教各宗派の本山法主・貫首・管長選出方法は高僧の合議・選挙・指名等、一定していない 日蓮正宗の「二箇相承」「血脈相承」論を聞いていると、 「日蓮大聖人は日興上人に相承しなかった ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(15)~本当に血脈相承があったら日興自身が日蓮から血脈相承を受けた後継者だと宣言したはずだ
■検証15・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない8 □日蓮遷化記録の「定」と二箇相承の矛盾をごまかす大石寺65世日淳の妄説を斬る ----------------------------------------------------------------------------- (日蓮正宗大石寺65世法主 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(14)~日興真筆・日蓮遷化記録が真書なら「二箇相承」「唯授一人血脈相承」は後世の偽作である
■検証14・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない7 □重要文化財指定の日興真筆・日蓮遷化記録が偽書ということは絶対にあり得ない 富士門流八本山のひとつ・西山本門寺という寺は、古くからの古文書、漫荼羅本尊が多数格蔵されており、平たく ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(13)~「定」と「二箇相承」の矛盾を歴史上最初に言及した京都要法寺十三祖貫首・広蔵院日辰
■検証13・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない6 □日蓮が定めた本弟子六人(六老僧)の「定」と矛盾する「二箇相承」「血脈相承」 「二箇相承」「唯授一人血脈相承」は、1282(弘安5)年10月8日、日蓮が入滅の直前に制定した本弟子六人(六老 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(12)~日蓮葬送の儀式の大導師は白蓮阿闍梨日興ではなく法臘最上位の弁阿闍梨日昭だった
■検証12・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない5 □葬儀・葬列・法要は法席・僧階が最上位の僧侶が大導師を勤めるのが仏教界の通例 --------------------------------------------------------- (法華講員・辻野けんゆう2gの妄説) 大聖人 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(11)~「本門弘通の大導師」でも「身延山久遠寺の別当」でもなかった大石寺二祖日興3
■検証11・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない4 □法主・管長以外の僧侶が「責任者」「導師」を務める法要・行事に法主は出仕してこない --------------------------------------------------------- (法華講員・辻野けんゆう2gの妄説) ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(10)~日興が身延山久遠寺第二祖に登座していたら日蓮葬送の儀の脇に参列しているはずがない
■検証10・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない3 □「本門弘通の大導師」でも「身延山久遠寺の別当」でもなかった大石寺二祖日興2 1282(弘安5)年10月14日の日蓮葬送の儀式がどのようなものであったか。日興が筆録した「御遷化記録」をもとに ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(9)~「本門弘通の大導師」でも「身延山久遠寺の別当」でもなかった大石寺二祖日興1
■検証9・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない2 □「本門弘通の大導師」でも「身延山久遠寺の別当」でもなかった大石寺二祖日興 富士門流八本山のひとつである京都要法寺第13祖貫首・広蔵院日辰が書写した「日蓮一期弘法付嘱書(身延相承書 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(8)~本当に「血脈相承」があったら上野地頭が保田妙本寺日賢を「大石寺別当」と呼ぶはずがない
■検証8・大石寺9世日有以前の大石寺門流に「唯授一人の血脈相承」は存在しなかった4 □本当に「血脈相承」があったら上野地頭が保田妙本寺日賢を「大石寺別当」と呼ぶはずがない 蓮蔵坊七十年紛争の真っ只中の1366年(貞治5年)に、上野郷の地頭・興津法西が日郷 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(7)~本当に「唯授一人血脈相承」があったら「蓮蔵坊七十年紛争」はなかった
■検証7・大石寺9世日有以前の大石寺門流に「唯授一人の血脈相承」は存在しなかった3 □「血脈相承」ではなく今川家と鎌倉管領の介入により政治的に解決した「蓮蔵坊七十年紛争」 1333(正慶2)年から1403(応永10)年にいたる70年の長い間、大石寺4世日道の一門と、 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(6)~本当に「唯授一人血脈相承」があったら日仙と日代は大石寺上蓮坊で問答する必要がなかった
■検証6・大石寺9世日有以前の大石寺門流に「唯授一人の血脈相承」は存在しなかった2 □本当に「唯授一人血脈相承」があったら日仙と日代は大石寺上蓮坊で問答する必要がなかった 日蓮正宗大石寺開祖・日興、三祖・日目が死去した翌年の1334(元弘4)年1月7日、大 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(5)~もし日尊門流が大石寺を本山と仰いでいたら日印が西山開祖・日代に教示を仰ぐはずがない
■検証5・大石寺9世日有以前の大石寺門流に「唯授一人の血脈相承」は存在しなかった1 □「日尊実録」にある「一人」とは大石寺法主ではなく日尊から相承を受けた「付弟」のことだ ------------------------------------------------------------------ (日蓮正 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(4)~日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない
■検証4・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない □血脈相承を受けて日興が身延山久遠寺二祖に晋山したら弟子・信者の誰も知らないはずがない だいたい弘安5年(1282年)10月当時において、日蓮が末代の衆生のために、『二箇相承』『百六箇抄』 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(3)~本当に「唯授一人血脈相承」があったら日興の「身延離山」はなかった2
■検証3・「本門弘通の大導師」でも「身延山久遠寺の別当」でもなかった大石寺二祖日興2 □日興が本当に身延山久遠寺別当ならば「身延離山」しなければならないのは日向のほうだった 日興の「身延離山」には、もうひとつ、大きな矛盾点が存在している。 第二の ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(2)~本当に「唯授一人血脈相承」があったら日興の「身延離山」はなかった1
■検証2・「本門弘通の大導師」でも「身延山久遠寺の別当」でもなかった大石寺二祖日興1 □日興が「唯授一人血脈相承」を佐渡阿闍梨日向と南部実長に示せば「身延離山」はなかった 日蓮から日興に対して、本当に「唯授一人血脈相承」なるものが為されていたら、 ...
血脈相承は9世日有の偽作だ(1)~「唯授一人血脈相承」がなかったが故に身延離山・日仙日代問答・日道日郷紛争があった
■検証1・大石寺9世日有以前の大石寺門流に「唯授一人の血脈相承」は存在しない1(歴史的会通) □「唯授一人血脈相承」がなかったが故に身延離山・日仙日代問答・日道日郷紛争があった 日蓮正宗では盛んに「大石寺の住持には日有上人以前から、大聖人の正統な後継 ...
日蓮正宗大石寺の『唯授一人の血脈相承』は大石寺9世日有の偽作である
日蓮正宗の信仰活動の根幹を成している根本教義に、「戒壇の大本尊」なる板本尊、彼らの宗祖・日蓮を釈迦牟尼如来よりも上位にある本仏であるとする「日蓮本仏義」と並んで、大石寺法主のみが日蓮・日興・日目からの血脈を相承していると自称している「唯授一人の血脈相承 ...