■検証56・「日興跡条条事」について大石寺法主を難詰した北山本門寺貫首・玉野日志氏

 

「日興跡条条事」の文については、古来からさまざまな人が、文の内容について疑問を呈してきている。その中でも1878(明治11)年から1879(明治12)年にかけて、北山本門寺34代貫首・玉野日志氏と日蓮正宗大石寺52世法主・鈴木日霑との間で行われた「霑志問答」における玉野日志氏の「日興跡条条事」についての問難は有名である。

玉野日志氏は、「霑志問答」における大石寺に対する問難で、次のように書いている。

「『本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主として、日本国乃至一閻浮提の内に於いて山寺等の半分は日目嫡子分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之を領掌すべし』

今此の文を案ずるに、目師閻浮の座主として半分領すべき理なし。半分領する者にして本門寺の座主たるの理なし。文的然と不通をなす。何れの処にか一国の大王にして其の半分を領する国王ありや」(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』7p42)

「『大石の寺は御堂と云ひ、墓所と云ひ、日目之を管領し修理を加え、勤行を致し広宣流布を待つべきなり』…興目在世には大聖人御骨、大石寺にあらざること皎として白日の如し。若夫れあらば日尊日順等何ぞ之を知らざるの理あらん。今其の現存する物は後世身延の墓をあばいて盗み出せるか。蓋し将た作物して偽説するにすぎざるなり。」

(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』7p45)

 

玉野日志氏は、「日興跡条条事」の文について

「日目が日興から一閻浮提の半分の山寺しか嫡子分として相続されていないのに、一閻浮提の座主というのは、おかしい」

「日興、日目在世の時代には大石寺に日蓮の遺骨はなかったことは明白。それが今あるというのは、後世に身延の日蓮の墓をあばいて盗み出した物か。あるいは自分たちで日蓮の遺骨を偽作した物か」と難詰。さらに玉野日志氏は、「日興跡条条事」の第二条の

「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を相伝する。本門寺に懸奉るべし」

の文についても、「弘安二年の大御本尊」という名前で出てきている、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊について、さまざまな疑問を呈して大石寺の鈴木日霑を難詰している。

ただ、玉野日志氏は、北山本門寺の貫首という立場で、大石寺法主との文書による問答と言うことからなのか、「日興跡条条事」を偽作とは結論づけてはおらず、

「請ふ、真理を開示せよ」(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』7p45)

と、大石寺法主に「日興跡条条事」の真相を明らかにするように要求する形を取っている。

北山本門寺貫首と大石寺法主という富士門流本山の貫首同士の問答だから、そうせざるを得なかったと言うことなのかも知れないが、しかし玉野日志氏の問難が評価されるところは、「日興跡条条事」の不審点を直接、文書を以て大石寺法主に問いただし、難詰した点にある。

しかも玉野日志氏は、北山本門寺貫首という立場にあって、これを行ったわけだから、その点は大いに評価されてしかるべきではないか。

日興跡条条事2 

(昭和5549日付け聖教新聞に掲載されている『日興跡条条事』)