アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ

正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」。創価学会や顕正会は勿論の事、その本家本元の日蓮正宗自体も「目くそ鼻くそを笑う」的なものだ。創価学会、SGIや冨士大石寺顕正会、正信会、その他の分派団体……これらの親元・生みの親・育ての親・本家本元は、日蓮正宗です。 伝統仏教の仮面をかぶり、国際人権規約(条約)違反の人権侵害を行い、信教の自由から逸脱した専横活動を行い、一般国民の信教の自由を踏みにじる弾圧を行うカルト宗教を規制する新立法・新条約制定を目指します。日蓮正宗、創価学会、顕正会をカルト宗教に指定して司法監視せよ。反日蓮正宗系活動はカルト宗教の専横・独裁・専政・弾圧に抵抗する現代の自由民権運動である。 (「日蓮七百遠忌大法会」終了後、記念撮影する大石寺67世阿部日顕ら日蓮正宗首脳僧侶と池田大作ら創価学会首脳・昭和56(1981)年10月17日付け聖教新聞)

大石寺の他宗派「本堂」「秘仏」パクリ

□正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」です
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/29372252.html
□反日蓮正宗・反創価学会・反顕正会・反正信会路線の「アンチ日蓮正宗」
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_695541.html
「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。富士門流執着軍団批判は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄だが、「日蓮正宗系」以外の富士門流寺院の調査・研究は「仏教宗学研究会のブログ」の管轄。「仏教宗学研究会」への誹謗中傷に対する反撃・糾弾は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」から、カルト宗教対策、カルト宗教取締特別立法、カルト宗教拡散防止条約制定の活動部分を独立させたものが「国際カルト宗教対策委員会(Icat-Cult)」
□「アンチ日蓮正宗」「Icat-Cult」「仏教宗学研究会」は表裏一体の同体」
http://international-committee-against-cult.doorblog.jp/archives/1655529.html
□「国際カルト宗教対策委員会・公式ブログ」
http://international-committee-against-cult.doorblog.jp/
□「アンチ日蓮正宗」の5番目の批判ターゲットに「富士門流執着軍団」を指定
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/38818720.html
□「アンチ日蓮正宗」の基本方針・基本政策・メインテーマ
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1081721.html

□日蓮正宗とは伝統仏教の仮面をかぶるカルト・宗教詐欺集団である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1155403.html
□創価学会は伝統仏教の仮面をかぶるカルト・謀略政治団体である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_622031.html
□冨士大石寺顕正会とは伝統仏教の仮面を被るカルト・暴力集団である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_496386.html
□妙観講とは伝統仏教の仮面をかぶるカルト・謀略集団である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_690733.html
□日蓮正宗正信会とは日蓮正宗の仮面をかぶる創価学会の分派である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_496387.html
□「富士門流執着軍団」とは伝統仏教の仮面を被る謀略軍団である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1055717.html
□日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会は同じ穴の狢・同罪である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_174276.html
□日蓮正宗管長・代表役員・大石寺法主への離檀宣告書の書式
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/30268020.html
□日蓮正宗からの離檀1(離檀届)
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17606850.html
□創価学会からの脱会1(脱会届)
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17607967.html
□冨士大石寺顕正会からの脱会1(脱会届)
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17611881.html
□正信会からの脱会1(離檀届)
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17613697.html
□日蓮正宗批判・創価学会批判・顕正会批判は他のカルト宗教批判と構造が異なる
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/33730660.html
□「アンチ日蓮正宗」は永世中立・非同盟・不偏不党・自主独立機関
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_689583.html
□アンチ日蓮正宗・コミュ・ブログ・管理人
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_613423.html
□「アンチ日蓮正宗」の主宰者・管理人は無宗教である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/9893862.html
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/9911806.html
□「アンチ日蓮正宗」はいかなる団体・宗派も支持しない・連合しない
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/10655360.html
□「アンチ日蓮正宗」は単なる数合わせの政治的野合・連合体をめざさない
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/35069469.html
□「『アンチ日蓮正宗』の内容は正確で、問題の本質をとらえている」と日蓮正宗の現役信者・元信者が認めている
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/12617039.html
□「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」管理人の自叙伝
「実録・となりの創価学会員・法華講員」
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_610577.html
<注意事項>
□「アンチ日蓮正宗」の全ての記事・写真等の無断転載、無断使用、無断複製、無断模倣は厳禁です
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17463344.html
□「「3ブログ」は言論の自由・表現の自由のサイトであり名誉毀損・誹謗中傷・業務妨害サイトではない」
http://bukkyoshugakukenkyukai.doorblog.jp/archives/49127458.html
□「ニセhide」「ニセアンチ日蓮正宗」の謀略にご注意下さい
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1186234.html
□英昭彦以外の者が他のインターネットサイト・SNS・他の著作物等で「アンチ日蓮正宗」管理人「hide」を名乗ることを厳禁する

□日蓮正宗系カルト対策とオウム・統一教会・幸福の科学等のカルト対策は別個である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/30040491.html
□「日蓮正宗系」離檀・離宗・脱会確認後、最低5年間は『様子見期間』とさせていただいています
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/43144396.html

<協力要請>

□「日蓮正宗系」カルトを離檀・離宗・脱会された方々へ情報提供・内部告発の協力要請
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/43712967.html
<ご相談>
□御相談は全て管理人の電話にて受け付けていますので電話をお願いします
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/42053605.html
□管理人の連絡先
(mobile)
080-6553-2774
anti-nichirenshoshu@ezweb.ne.jp
(telephone)
03-6325-6401
(FAX)
03-6325-7926
(PC)
anti_nichirenshoshu@jcom.zaq.ne.jp
(管理人名)英昭彦(hide_akihiko)

戒壇大本尊は9世日有の偽作だ(71)~日本全国主要仏教寺院にある絶対秘仏・秘仏として格蔵される主な本尊・仏像

■検証71大石寺9世法主日有が京都仏教寺院から輸入した化儀・秘仏3

 

日本全国主要仏教寺院にある絶対秘仏・秘仏として格蔵される主な本尊・仏像

 

それでは、長野善光寺、比叡山延暦寺、園城寺、奈良法隆寺、東京上野・寛永寺、東京・浅草寺、京都・鞍馬寺、宇治市の三室戸寺、和歌山県紀ノ川市の粉河寺、滋賀県長浜市の向源寺、兵庫県加西市の一乗寺の他、愛知県犬山市の寂光院、石川県津幡町・不動寺、東京芝・増上寺安国殿、東京麻布の天現寺以外の主な秘仏をここに取り上げたい。

□東京 世田谷山観音寺 不動明王及八大童子像

□神奈川 極楽寺 釈迦如来坐像 不動明王坐像 十大弟子立像

□奈良 西大寺 愛染明王坐像 興正菩薩叡尊上人像

□京都 醍醐寺 薬師如来及両脇侍像 准胝観音坐像

□京都 教王護国寺 兜跋毘沙門天立像 □京都府 仁和寺 阿弥陀如来及両脇侍像

□埼玉 高山不動尊常楽院 軍荼利明王立像 □神奈川 影向寺 薬師如来両脇侍像

□奈良 興福寺 弥勒如来坐像 無著菩薩 世親菩薩立像 四天王立像

□奈良 唐招提寺 鑑真和上坐像 □奈良 五劫院 五劫思惟阿弥陀坐像

□奈良 東大寺 俊乗上人坐像(重源上人)愛染明王坐像 阿弥陀如来立像 執金剛神立像 弁上人坐像 □三重 無動寺 不動明王立像 □滋賀 櫟野寺 十一面観音坐像

□山口 南明寺 聖観音立像 千手観音立像 □京都 東寺 兜跋毘沙門天立像

□京都 浄瑠璃寺 吉祥天立像 □京都 仁和寺 阿弥陀如来及両脇侍像

□奈良 東大寺 僧形八幡神坐像 五劫思惟阿弥陀如来坐像

□奈良 興福寺 不空羂索観音坐像 四天王立像 弥勒如来坐像 無著菩薩 世親菩薩立像 四天王立像 □奈良 法華寺 十一面観音立像

□奈良 興福寺北円堂 弥勒如来坐像 無著菩薩 世親菩薩立像 四天王立像

□京都 清涼寺 阿弥陀如来及両脇侍 □京都 浄瑠璃寺 吉祥天立像

□滋賀県 善水寺 薬師如来像 □滋賀県 福林寺 十一面観音立像 (2002年に開帳)

□滋賀県 常楽寺 千手観音 □東京 大観音寺 観音菩薩像頭部

□滋賀 千光寺 千手観音立像 □大阪 勝尾寺 千手観音立像

□大阪 葛井寺 千手観音坐像 □大阪 野中寺 弥勒菩薩半跏思惟像

□兵庫 中山寺 十一面観音立像 □大阪 道明寺 十一面観音立像

□東京 感応寺 将軍地蔵像 □新潟 妙高寺 愛染明王坐像

□神奈川 浄光明寺 阿弥陀如来及両脇侍坐像

 

続きを読む

戒壇大本尊は9世日有の偽作だ(70)~「戒壇の大本尊」の正体を隠蔽し信者を欺瞞して供養金を集めるための化儀・「秘仏」

■検証70大石寺9世法主日有が京都仏教寺院から輸入した化儀・秘仏2

 

「戒壇の大本尊」の正体を隠蔽し信者を欺瞞して供養金を集めるための化儀・「秘仏」

 

日蓮正宗大石寺が「戒壇の大本尊」なる板本尊を格蔵している「秘仏」の化儀は、「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作した日蓮正宗大石寺9世法主日有が、京都仏教寺院から輸入した化儀である。「秘仏」がある寺院で特に注目されるのは、天台宗延暦寺派総本山・比叡山延暦寺、天台寺門宗総本山・長等山園城寺(三井寺)、奈良法隆寺の秘仏である。これらの大寺院は、大石寺9世日有が1432(永享4)3月、京都の朝廷・室町幕府へ国家諌暁の申状を上呈・天奏で京都に上洛した時、申状を伝奏してもらうために、大石寺9世日有との接点が考えられるからである。

伝奏とは、平安後期以降の朝廷の職名。親王・摂家・武家・社寺などの奏請を院や天皇に取り次ぐことをつかさどった。その中でも室町時代以降の武家伝奏は、室町時代から江戸時代にかけての朝廷における職名の一つで、武家の奏請を朝廷に取り次ぐ役目を果たした。公卿が任じられていた。建武の新政の際に置かれ、室町幕府がこれを制度化したものである。

大石寺9世日有は天奏をするにあたっては、延暦寺や園城寺に申状を伝奏してもらわねばならなかった。延暦寺や園城寺をはじめとする京都・奈良近郊では、次のような秘仏がある。

■比叡山延暦寺 根本中堂本尊 薬師如来立像 

延暦寺の根本中堂(国宝)は、最澄が建立した一乗止観院の後身。中央の厨子には最澄自作の伝承がある秘仏・薬師如来立像を安置する。しかしこの本尊は秘仏になっていて、普段は公開されておらず、参拝客が根本中堂で目にする薬師如来像は、仏師が彫刻した「前立」本尊である。

開創1,200年記念の1988年、その後、2000年、2006年に開扉されたことがある。

■園城寺 本尊 弥勒菩薩像 

金堂本尊の弥勒菩薩像(弥勒如来とも)は、天智天皇の念持仏と伝え、唐からの請来像ともいうが、絶対の秘仏で公開されたことがなく、写真も存在しないため、いかなる像であるかは不明。

■園城寺 観音堂本尊 如意輪観音坐像(重文)     33年に1度の開扉

■園城寺 智証大師(円珍)坐像(国宝)  「中尊大師」、「御骨大師」の2体あり。中尊大師は1029日の祥忌法要で開扉されるが、御骨大師は開扉なし。特別展などで過去数回公開された。

■園城寺 新羅明神坐像(国宝)  特別展などで数回公開されたことがある。

■園城寺 不動明王像(黄不動、絵画、国宝)  厳重な秘仏として知られ、寺では書籍等への写真掲載を厳しく制限している。特別展などで数回公開されたことがある。

■法隆寺 夢殿本尊 救世観音 聖徳太子の等身像とされる。長年秘仏であり、白布に包まれていた像で、明治初期に岡倉天心とフェノロサが初めて白布を取り、「発見」した像とされている。現在も春・秋の一定期間しか開扉されない秘仏である。

 

続きを読む

戒壇大本尊は9世日有の偽作だ(69)~大石寺9世法主日有が京都仏教寺院から輸入した化儀・秘仏1

■検証69大石寺9世法主日有が京都仏教寺院から輸入した化儀・秘仏1

 

日蓮の本尊や化儀に「秘仏」ないしは秘仏にしなければならない本尊は全くない

 

日蓮正宗大石寺の化儀の中で、大石寺9世日有の京都天奏により、京都の仏教寺院の影響もしくは京都仏教寺院から採り入れたもの・輸入したものと思われるものは、それこそ多数ある。まずひとつめは「秘仏」という化儀である。

秘仏(ひぶつ)とは、信仰上の理由により非公開とされ、厨子などの扉が普段は閉じられたまま祀られる本尊や仏像のことである。仏教寺院では、仏堂の扉を開いた際に本尊・仏像が見えるように祀るのが本来であるが、「秘仏」は開帳以外の時は厨子の扉を閉じたまま祀られている。

日蓮正宗では「秘仏」という言葉こそ公式には使わないものの、しかしその日蓮正宗は、大石寺奉安堂に格蔵している「戒壇の大本尊」なる板本尊を、「広宣流布の暁まで蔵の中に秘蔵する御本尊で、篤信の信徒の願いがあれば、法主が特別に内拝を許している」と言っているが、まさにこれが秘仏という化儀である。

日本の仏教各宗各派の秘仏には、全く公開されない「絶対の秘仏」も一部にあるが、特定の日に限って公開(「御開帳」「御開扉」などと称する)を行うことが多い。日蓮正宗でも、「戒壇の大本尊」なる板本尊を奉安堂にて公開し、大石寺に登山参詣に来た信者に内拝させることを「御開扉」(ごかいひ)と呼んでいる。

「秘仏」の発生時期や要因については本格的な研究が進んでおらず、確かなことはわかっていないが、少なくとも京都・広隆寺の資財についての記録である「広隆寺資財交替実録帳」(寛平2年・890年頃成立)には、同寺金堂本尊の「霊験薬師仏」が鍵のかかる「内殿」に安置されていたことが明記され、この薬師像が遅くとも9世紀末には秘仏扱いされていたことを伺わせる。

秘仏の発生には神道の神社からの影響があるものとする説もある。神社の本殿の扉もまた、普段は閉じられており、特定の祭祀の時にのみ扉が開かれる場合があるからである。

秘仏を有する寺院は真言宗系、天台宗系に比較的多く、密教寺院の本尊とされることが多い薬師如来や、観音菩薩、十一面観音、千手観音、如意輪観音、不動明王などが秘仏とされることが多いことから、密教との関連も指摘されている。

(フリー百科事典・Wikipedia「秘仏」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%98%E4%BB%8F)

宗派別では、真言宗および天台宗の寺院に本尊を秘仏とするところが比較的多い。

天台宗系の主要寺院では、延暦寺根本中堂本尊の薬師如来像、同寺西塔釈迦堂本尊の釈迦如来像、園城寺(三井寺)金堂本尊の弥勒菩薩像、同寺観音堂本尊の如意輪観音像などはいずれも秘仏で、他にも和歌山県紀の川市の粉河寺・千手観音像、兵庫県加西市の一乗寺・千手観音像がある。

 

続きを読む

戒壇大本尊は9世日有の偽作だ(64)~大石寺門流にはじめて京都・奈良から「本堂」を輸入して持ち込んだ大石寺9世日有

■検証64・大石寺9世日有が京都仏教寺院から輸入した伽藍・本堂4

 

□大石寺門流にはじめて京都・奈良から「本堂」を輸入して持ち込んだ大石寺9世日有

 

本堂とは、仏教寺院において本尊仏を安置する堂宇。仏教寺院で中心本尊を祀っている堂宇のこと。一般的に寺院の中心的な堂を指して「本堂」ということが多い。もちろん大勢の信徒が収容できるような本堂が建てられるようになったのは、鎌倉時代以降、鎌倉仏教の勃興によって一般庶民に仏教信仰が流布して以降のこと。大石寺9世日有が京都天奏の旅に出た1432(永享4)のころの京都には、すでに日蓮宗が京都に進出しており、日像門流の京都妙顕寺の他、日像門流と教義論争を起こして分立した日隆門流の京都本能寺等、かなり日蓮一門が教線を拡大していた。同じく一般庶民に布教して鎌倉・室町時代に教線を拡大していた法然・親鸞の南無阿弥陀仏の宗旨は、京都知恩院や本願寺は火災や戦災で荒廃を繰り返していたが、浄土真宗仏光寺派と高田専修寺派が最盛期だった時代。1432(永享4)以降に起こった応仁の乱、天文法華の乱、たび重なる焼き討ち、戦乱による戦災、火災等によって多くの文献・史料は失われてしまっているが、室町時代の頃、京都妙顕寺、京都本能寺、真宗仏光寺、高田専修寺等には、参詣信徒を収容する本堂がすでに存在していたと考えられる。

日蓮正宗大石寺9世法主日有がイメージした「本堂」とは、大石寺9世日有が偽作した文書「百六箇抄」に書いている「富士山本門寺本堂」であり、そこには大石寺9世日有が「日蓮真筆」を詐称して偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊を祀ることを想定している。つまり大石寺9世日有が偽作した「百六箇抄」では

「下種の弘通戒壇実勝の本迹、 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり…五人並に已外の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外万国に之を流布せしむと雖も、日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂「富士宗学要集」1p18p21)と書いており、同じく大石寺9世日有が偽作した「日興跡条条事」第二条には

「日興が身室町時代の頃に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を相伝する。本門寺に懸け奉るべし」(『日蓮正宗聖典』p519・『平成新編御書全集』p1883)

と書いている。「日興跡条条事」で「弘安二年の大御本尊」を本門寺に懸け奉る場所とは、「百六箇抄」で言う、「富士山本門寺本堂」であり、大石寺9世日有が偽作した「弘安二年の大御本尊」を「富士山本門寺本堂」の正本尊として祀るという意味である。そして日有は、

「日有云く、また云く、大石は父の寺、重須は母の寺、父の大石は本尊堂、重須は御影堂、大石は本果妙、重須は本因妙、彼は勅願寺、此は祈願寺、彼は所開、此は能開、彼は所生、此は能生、即本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり」

(『新池抄聞書』/大石寺59世堀日亨の著書「富士日興上人詳伝・下」p84)

と、「戒壇の大本尊」を祀る堂宇・本堂こそが「事の戒壇」であると言った。そして「戒壇の大本尊」を祀る堂宇・「事の戒壇」がある大石寺こそが、日蓮一門の総本山であると言ったのである。

 

続きを読む

戒壇大本尊は9世日有の偽作だ(63)~大石寺には創建当初から「本堂」と呼ばれる堂宇はなかった3

■検証63・大石寺9世日有が京都仏教寺院から輸入した伽藍・本堂3

 

□奈良・平安時代の寺院には僧侶の導師席も信者・参拝客が座るスペースも必要なかった

 

平等院鳳凰堂の中は、ほとんどが本尊・阿弥陀如来像が祀られているスペースで占められており、僧侶や参拝客が入るスペースがほとんどない。又、阿弥陀堂内には、僧侶が座る導師席など一切設置されていない。ここで儀式や法要をやるとなったら、阿弥陀堂の中に入れるのは、導師の僧侶だけで、参拝者は全員、外に出て参拝しなくてはならくなると思われる。

そう考えると、何と都合の悪い造りにしたものだと考えがちだが、しかしながら、藤原頼通が創建した当時は、こういう造りのほうが都合が良かった、ということである。

藤原頼通が平等院を創建した時代というのは、平安時代。その時代は、一般庶民に仏教は弘まっておらず、もちろん当時の庶民は仏教信仰とはほとんど無縁に近かった。

奈良・平安時代に仏教を信仰していたのは、僧侶の他には天皇・皇族・公家・貴族といった上流階級のみ。一般庶民が仏教を信仰し始めたのは、「南無阿弥陀仏」、座禅、「南無妙法蓮華経」といった鎌倉仏教が弘まって以降のこと。

しかし、鎌倉時代以降、庶民が仏教信仰をするようになったとは言っても、大伽藍を持つ仏教寺院は一般大衆の信仰に支えられていたわけではなく、天皇・皇族・公家・貴族、将軍、大名、武家といった特定の上流階級によって経済的に支えられていた寺院が多かった。この平等院とて長い間、摂関家・藤原氏丸抱えの寺院だったのであり、藤原氏の供養によってのみ成り立っていた。当然、そのころは一般庶民とは無縁だったということ。これは平等院のみならず、飛鳥・奈良・平安時代に建てられた大寺院の中を見れば、一目瞭然である。

日本に仏教が伝来した当初の飛鳥・奈良時代の寺院の金堂(仏殿)は、その寺院の中心本尊・根本本尊を祀るための堂宇であったので、金堂(仏殿)の建物の内部は、仏像本尊を安置する壇(須弥壇)がほとんどのスペースを占めている。

これは飛鳥・奈良・平安時代においては、仏教を信仰していたのは、天皇・皇族・貴族・公家ほんの一部の上流階級・支配階級のみであり、この当時の寺院も、ほとんどが天皇・皇族・貴族・公家の財力・経済力で建てられた官寺であり、この時代において、仏教を信仰していたのは、僧侶と皇族・公家・貴族といった上流階級のみであり、まだ仏教は一般庶民まで広く流布していなかった。金堂(仏殿)の建物に、たくさんの人を収容するスペースは不要だったのである。

これは、飛鳥・奈良・平安時代に建てられた東大寺、唐招提寺、興福寺、薬師寺の金堂、法隆寺の金堂、夢殿、平等院鳳凰堂の中は、皆そのようになっている。東大寺の大仏殿(金堂)も、中に祀られている大仏は巨大であるが、大仏殿の前に参詣者が入るスペースはほとんどない。

ただし、東大寺等、創建は飛鳥・奈良時代でも、戦乱等で焼失して再建された寺院も多い。

そういう意味で、飛鳥・奈良・平安時代に建てられた堂宇がそのまま残っている法隆寺や平等院鳳凰堂の存在はまことに貴重である。

鳳凰堂5
 

(平等院鳳凰堂)

 

続きを読む
メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
最新記事(画像付)
最新コメント
livedoor プロフィール
カテゴリ別アーカイブ
  • ライブドアブログ