□山崎正友氏の創価学会批判活動は総合的に見て功績のほうが大きい

 

昭和50年代後半から平成10年ころまで、創価学会批判活動に活躍した山崎正友氏という人物がいる。創価学会は、山崎正友氏から批判される一方であったので、山崎正友氏への評価はボロクソであるが、創価学会を批判する側において、山崎正友氏への評価が分かれている。

山崎正友氏の創価学会批判活動を、どう評価すべきなのか、について、検証を加えてみたい。

 

山崎正友氏(19362008)とは、京都大学法学部卒業。元創価学会副理事長・元顧問弁護士で、創価学会員の弁護士第一号として、とても有名な人物であった。

岡山県立岡山操山高等学校を卒業後、1955年に京都大学法学部に入学。入学後、腎臓病を患い、病気を機に大学在学中に日蓮正宗・創価学会に入信。創価学会学生部出身初の弁護士として多大な期待を寄せられ、以降、創価学会の法務に関わる。

創価学会顧問弁護士としての活動の他に、「山崎師団」とよばれる謀略部隊の総帥を務め、日本共産党の宮本顕治宅盗聴事件や保田妙本寺盗聴事件、妙信講本部盗聴事件、「創価学会対策連盟」「万年講」「法華経讃仰会」など、創価学会と対立する敵対団体の瓦解工作などを計画・主導した。

創価学会顧問弁護士の立場から日蓮正宗と創価学会の諸問題における調整役を務めた際、役務上知り得る情報や人脈をたどり、やがて総本山大石寺と創価学会の間に入り、静岡県下の土地売買によって不当に巨額な利益を手中にし、秘密裏に営利企業を設立するなどした。

1970年代に起きた日蓮正宗との「昭和52年路線問題」においては積極的に関わりを持ち、弁護士として日蓮正宗と創価学会の調整役を務める一方で、双方の離間工作を行い、終始、「第1次宗創戦争」を陰で主導した。

第一次宗創戦争が終結した1979(昭和54)年、山崎正友氏は日蓮正宗大石寺66世細井日達法主から、北条浩、秋谷栄之助、森田一哉、小泉隆、和泉覚、辻武寿ら創価学会大幹部とともに、日蓮正宗法華講大講頭に任命されている。

 

山崎正友氏の創価学会批判の最大の功績は、自身が元創価学会顧問弁護士であったことから、創価学会内部文書「山崎・八尋報告書」「北条報告書」等を暴露。著書「盗聴教団」「『月刊ペン』事件埋もれていた真実」「闇の帝王、池田大作をあばく」等で、創価学会の盗聴活動をはじめ、秘密工作の数々を暴露したことであろう。

この山崎正友氏の批判活動によって、それこそ数万人、数十万人規模の人たちが創価学会を脱会した。これらの人の多くは、正信会系日蓮正宗寺院の檀徒になったり、日蓮正宗寺院の法華講員になった人が多かったが、元の仏教宗派に戻ったり、宗教そのものを信じることをやめた人も多数いたことも事実である。

山崎正友6


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